火星では時間の進み方が地球よりも早いことが、最新の物理学研究によって定量的に明らかになりました。
アメリカの米国国立標準技術研究所(NIST)に所属する2人の物理学者による研究により、火星上の時計は、地球上の時計よりも1日あたり平均で約477マイクロ秒(100万分の477秒)速く進むことが示されたのです。
この差は日常感覚ではほとんど無視できるほど小さなものですが、地球・月・火星をまたいだ通信や航法、将来的な有人探査においては、決定的に重要な意味を持つと研究者たちは指摘しています。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Time Moves Faster on Mars, And Scientists Finally Know by How Much(2025/12/19)
参考研究)
・A Comparative Study of Time on Mars with Lunar and Terrestrial Clocks(2025/12/01)
相対性理論が示す「重力と時間」の関係

この研究の理論的基盤にあるのは、Albert Einsteinが提唱した一般相対性理論です。
一般相対性理論によれば、時間の進み方は一定ではなく、重力の強さによって変化することが知られています。
これは「重力による時間の遅れ(重力時間遅延)」と呼ばれる現象です。
強い重力場の中では時間はゆっくり進み、逆に重力が弱い環境では、時間はより速く進むとされています。
外部から観測した場合、強い重力の影響を受けている時計は、重力の弱い場所にある時計よりも遅れて見えるのです。
この効果は理論上の話にとどまらず、すでに現実の技術にも組み込まれています。
たとえば、地球を周回するGPS衛星に搭載された原子時計は、地上の時計よりも1日あたり約38マイクロ秒速く進むことが知られています。
これは、地上よりも重力が弱い軌道上にあることに加え、衛星の高速運動による時間遅延効果が組み合わさった結果です。
月ではすでに「月の標準時」が検討されている
今回の研究を主導したのは、NISTの物理学者であるNeil AshbyとBijunath Patla氏です。
彼らはこれまでにも、地球の協定世界時(UTC)に相当する「月のための時間基準」を設計してきました。
UTCは、天文学者や深宇宙通信網(DSN)によって使用されており、1日あたり約100ピコ秒(1兆分の1秒)という極めて高い精度で管理されています。
この仕組みを月に適用した場合、月面では地球よりも1日あたり約56マイクロ秒時間が速く進むと計算されています。
この差は、月自身の質量の小ささだけでなく、太陽・地球・月の間に働く重力相互作用を考慮した結果として導かれたものです。
火星の時間測定は、月よりもはるかに複雑

一方で、火星の時間を正確に定義することは、月の場合よりもはるかに難しいとPatlaは説明しています。
月では、太陽・地球・月という「三体問題」を扱えばよかったのに対し、火星の場合は太陽・地球・月・火星の四体問題を同時に考慮する必要があるからです。
まず、火星の重力は地球に比べて非常に弱いことが知られています。
火星の質量は地球の約10分の1にすぎず、NISTの研究者たちは、これまでの火星探査ミッションで得られたデータをもとに、火星表面の重力は地球の約5分の1程度であると推定しています。
さらに、火星は太陽からの距離も地球とは異なります。
地球が太陽から約1天文単位(AU)に位置しているのに対し、火星は約1.5天文単位の距離を保っています。
重力の影響は距離の2乗に反比例して弱まるため、火星は太陽から受ける重力ポテンシャルも地球より小さくなります。
火星の楕円軌道が時間をさらに不安定にする
問題をさらに複雑にしているのが、火星の公転軌道が地球よりも大きく歪んでいるという点です。
火星はかなり離心率の高い楕円軌道を描いて太陽の周囲を回っており、その結果、太陽からの距離が季節によって大きく変化します。
このため、火星が受ける重力ポテンシャルも一定ではなく、時間の進み方にも変動が生じます。
研究によれば、火星の時計は平均すると地球より1日あたり477マイクロ秒速く進むものの、火星の1年の間に、その差は±266マイクロ秒の範囲で増減することが示されています。
火星の「1日」と「1年」は地球より長い

時間の違いを理解するうえで重要なのが、火星の自転周期と公転周期です。
火星が太陽の周囲を1周するのにかかる時間、いわゆる火星の1年は687地球日であり、地球の約1.9倍に相当します。
また、火星の1日も地球より長く、自転に約24時間40分を要します。
このように、時間の単位そのものが異なるため、地球時間と火星時間を正確に対応づけるには、極めて精密な理論と計測技術が不可欠となります。
なぜ火星の「正確な時間」が必要なのか
この研究が重要視されている最大の理由は、将来の火星探査、特に有人探査に不可欠だからです。
Ashby氏は、「今すぐ火星表面が探査車の轍で覆われるわけではないが、他の惑星や衛星に航法システムを構築する際の問題を、今のうちから研究しておくことは非常に有益だ」と述べています。
地球外での時間管理は、通信、測位、航法といった基盤技術を支える根幹です。
現在計画されている月探査や、各国の宇宙機関および民間企業によるミッションにおいても、地球から独立した時間基準が不可欠になると考えられています。
そのため、地球―月圏を超えたスケーラブルな時間管理インフラを構築し、「惑星間で自律的に同期する時間体系」を確立することが、宇宙探査の重要な目標として位置づけられています。
「SFが現実になる時代」に向けた第一歩
Patlaは、この研究の意義について次のように語っています。
「月と火星にとって、まさに今が適切なタイミングです。人類が太陽系全体へと広がっていくという、かつてのSF的なビジョンに、これほど近づいたことはない。」
この研究成果は、天文学分野の専門誌であるThe Astronomical Journalに掲載されています。
なお、本研究は理論計算と既存探査データにもとづく推定であり、将来の火星表面での高精度原子時計による直接測定によって、さらに検証・補正される可能性がある点については留意が必要です。
まとめ
・火星では時間が地球よりも1日あたり平均477マイクロ秒速く進むことが示された
・この差は将来の火星探査や惑星間通信・航法において極めて重要となる
・本研究は理論と既存データに基づくものであり、今後の実測による検証が期待されている

コメント