世界中で何百万人もの人々が悩まされている下痢型過敏性腸症候群(IBS-D)は、日常生活に大きな支障をきたす不快な消化器疾患です。
その原因は分かっていませんが、今回、ケンブリッジ大学の研究から、IBS-Dの症状を引き起こす可能性がある重要な原因が新たに明らかになったと報告されました。
この研究は、同大学の内分泌学者Chris Bannon氏らのチームによって実施され、合計108名の参加者(IBS-D患者および関連疾患患者、健常者を含む)を対象に行われました。
その結果、消化を助ける胆汁酸が通常よりも奥の大腸まで到達すると、「インスリン様ペプチド5(INSL5)」というホルモンが放出されることが判明しました。

本来、胆汁酸は小腸で消化に用いられるべきものですが、消化管の異常や特定の病態によって大腸にまで達すると、INSL5の分泌が増加し、それが下痢のような症状を引き起こすのです。
「慢性的な下痢で医師を受診すると、多くの場合は食物不耐症の検査、感染症の除外、炎症の有無などが確認される。しかし、腸内ホルモンに着目した診断や治療はこれまで軽視されてきた」と、Bannon氏は述べています。
この現象は、IBS-D患者の約40%に関係している可能性があり、多くの既存薬や治療戦略が十分な効果を示さない理由の一端を説明できる可能性があるとし、将来の治療の可能性に期待がもたれています。
胆汁酸下痢症(BAD)との関連

今回の研究では、IBS-D患者に加えて、胆汁酸下痢症(BAD)の患者も対象に含まれました。
これにより、両者の間に存在するつながりや違い、そして症状の引き金となる要因を特定することができました。
現時点ではBADの診断は難しく、多くの場合IBSと診断されてしまいます。
研究チームは、BADをより正確に特定できれば、根本原因にアプローチする効果的な治療法の開発につながると考えています。
さらに、INSL5はもともと体内で自然に作られるホルモンであり、下痢を引き起こすのは身体が自らを守ろうとする防御反応の一部です。
大腸に胆汁酸のような「本来そこにあるべきでない物質」が到達すると、それを毒素として感知し、速やかに排出するためにINSL5が分泌されます。
Bannon氏は「毒素を感知して体外に排出する仕組みが存在するのは理にかなっている。しかし、胆汁酸によって常にこの仕組みが作動すると、非常に強い症状が持続的に現れることになる」と指摘しています。
動物実験からヒトでの確認へ
これまでのマウスを用いた研究では、INSL5が下痢を引き起こす可能性が示されていました。
しかし、今回の研究はヒトにおいても同様のプロセスが起こり、しかもIBS-DとBADという2つの正式に認められた病態と関連していることを初めて示したものです。
次のステップとしては、INSL5を標的とする治療法の開発が検討されています。
過去の研究では、制吐薬のオンダンセトロン(ondansetron)がINSL5を阻害する作用を持ち、IBS-D患者の一部で症状改善が見られたことが報告されています。
この結果は、治療への新しい道を開く可能性がありますが、なぜオンダンセトロンがこれほど効果を示すのか、その詳細なメカニズムはまだ不明です。
Bannon氏は「IBS-Dという誤解されやすい病態の症状に、このホルモンが大きく関与している可能性が示された。さらに、INSL5が特定の患者でのみ高値を示す場合には、血液検査によって胆汁酸下痢症を診断できる可能性も開ける」と述べています。
今後の展望と課題

この成果により、IBS-DやBADの患者のうち相当数の人々に対して、より的確な診断と治療が可能になる可能性があります。
ただし、以下の点はまだ未解明です。
• INSL5が常に高値を示す患者とそうでない患者の違い
• オンダンセトロンが症状改善に効果を示す正確なメカニズム
• INSL5の長期的な抑制が他の健康面に与える影響
研究チームは、これらの疑問を解決するためにさらなる臨床試験と基礎研究を進める必要があるとしています。
今後、INSL5を標的とする新薬の開発や、血液検査による迅速な診断法の確立が期待されます。
まとめ
・IBS-D患者の約40%は、INSL5という腸内ホルモンが関与している可能性がある
・INSL5は胆汁酸が大腸に到達した際に分泌され、防御反応として下痢を引き起こす
・INSL5阻害薬(例:オンダンセトロン)が治療法となる可能性があるが、作用機序は未解明
参考記事)
・Targeting a Single Hormone Could Help Treat 40% of IBS-D Cases(2025/08/13)
参考研究)


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