多発性硬化症(MS)の「見えない初期サイン」──診断の10年以上前から現れる兆候とは

科学
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多発性硬化症(Multiple Sclerosis:以下MS)は、免疫システムが神経を誤って攻撃してしまうことで、運動機能や感覚、認知能力に深刻な影響を与える神経疾患です。

 

この病気は世界中で約280万人に影響を与えており、発症すると生涯にわたる身体的・精神的な困難を伴うことが多いです。

 

従来、MSの診断は明確な身体的症状が現れてから行われることが一般的でしたが、新たな研究により、診断の10年以上前からすでに免疫系の異常を示唆する兆候が現れている可能性があることが明らかになりました

 

特に、精神的な健康の低下が最も初期の兆候の一つである可能性があると報告されています。

 

以下に研究の内容をまとめます。

 

参考記事)

These Symptoms Could Be Early Warning Signs of MS, a Decade Before Diagnosis(2025/08/06)

 

参考研究)

Health Care Use Before Multiple Sclerosis Symptom Onset(2025/08/01)

 

 

精神的な不調がMSの「先行サイン」である可能性

この研究は、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学の疫学者であるMarta Ruiz-Algueró氏を中心に行われ、カナダ国内でMSと診断された2,038人の患者の医療記録が、MSではない10,182人の記録と比較されました。

 

その結果、将来的にMSを発症した人々は、発症していない人々と比べて、疲労感、頭痛、めまい、不安感、うつなどの症状で医療機関を受診していた頻度が高いことが分かりました。

 

【MSの症状が現れる最大15年前から、どの診療科をどれだけ頻繁に受診していたかの表(対照群と比べた相対的な頻度)】

Health Care Use Before Multiple Sclerosis Symptom Onsetより

X軸:MSの発症前の年数(−15年〜−1年)

Y軸:受診の相対リスク(Rate Ratio:RR)。1.0より高ければMS患者群の方が多く受診していたことを意味する

  

【表からの読み取れること】

・精神疾患(抑うつ・神経症):発症の4〜5年前から増加(RR最大2.34)

・めまい・不眠など:発症の2年前から有意に増加(RR最大1.99)

・視覚障害:発症前年にRR 3.47と高く、他にも視力調整異常や眼球運動障害も増加

・筋骨格系(関節症・膝の異常):発症前年にRRが上昇(RR最大1.95)

   

【表のまとめ】

・多発性硬化症の診断前に患者が特定の診療科をより多く受診していることを示している

・特に、精神科・神経科・眼科・救急・放射線科の受診が数年前から増加しており、MSの早期兆候を捉える重要な手がかりになる可能性がある

・発症の10年以上前から変化が始まっている場合も示唆されている

  

これらの症状は、確定的な神経症状が現れるよりも最大で15年前に現れていたことが確認されました。

  

また、MS患者においては、診断の約8〜9年前から神経内科や眼科への受診回数が急増し、診断直前になると身体的な症状による通院が一気に増えるという明確なパターンも浮かび上がりました。

 

研究を主導したRuiz-Algueró氏は、次のように語っています。

 

我々はMSの早期警告サインを理解し始めた段階にある。中でも、精神的健康に関連した問題が、最も早い段階の兆候として浮上している。

 

 

「プロドローム期」の存在が示唆される

この研究は、MSにおける「プロドローム期(前兆期)」の存在を明確に示しています。

 

この期間には、表面的にはMSとは特定できない症状が徐々に現れ、しかしその背景では病気の進行が静かに始まっていると考えられます。

 

この点について、同じくブリティッシュ・コロンビア大学の疫学者であり、研究チームの一員であるHelen Tremlett氏は、次のように解説しています。

 

MSの最初のサインは、疲労、頭痛、痛み、そして精神的な問題など非常に一般的であり、他の多くの疾患とも共通している。そのため、MSと特定するのが非常に難しい。」

 

 

診断前からの神経のダメージが進行している可能性

 

MSは、免疫システムが神経の「ミエリン鞘(myelin sheath)」という脂肪の保護層を誤って攻撃することにより発症します

 

このミエリン鞘が破壊されると、脳と身体の間の情報伝達が遮断され、運動障害や感覚麻痺、さらには視力障害や記憶力・集中力の低下といった認知機能障害が発生するのです。

 

すでにこの段階で神経が損傷を受けている可能性が高いことを、今回の研究は示唆しています。

 

これまでにも、MSの初期兆候としての抗体のパターンが、発症の5年以上前に血液中に現れるという研究結果が報告されてきましたが、今回の研究ではさらに15年近く前から「何か」が始まっている可能性が示されました。

 

 

精神的な症状はMSだけに特有ではないが…

研究チームは注意点として、うつ病や不安障害などの精神的症状は一般的なものであり、多くの人が経験するが、MSを発症する人はごく一部であると強調しています。

 

したがって、精神的な不調だけでMSのリスクを推定することはできませんが、将来的には、これらの症状とMSとの関係をより深く理解することで、早期診断の手がかりが得られる可能性があります。

 

Tremlett氏は次のように述べています。

 

今回の結果は、MSの初期警告サインがいつから始まるのかというタイムラインを大きく変える可能性がある。これは、より早期に異常を検出し、介入できるチャンスが広がるという意味でもある。

 

 

MSの原因と今後の研究課題

MSの原因は完全には解明されていませんが、ウイルスや細菌感染が発症の引き金となる可能性や、特定の遺伝的要因がリスクを高めることがこれまでの研究から示されています。

 

ただし、なぜ免疫システムが突然「敵」と「味方」の区別を失い、自身の神経を攻撃し始めるのかについては、依然として謎が多く残されています。

 

現在の治療法は、発症後の再発を抑えることに一定の効果はありますが、病気そのものの進行を止めることはできません

 

したがって、「もっと前の段階」でMSの兆候を捉え、介入できるようになることが、今後の研究と臨床の大きな目標です。

 

今回の研究はそのための一歩として、MSの兆候は診断の10年以上前からすでに現れている可能性を明らかにし、今後の予防的アプローチの道を開くものです。

 

 

まとめ

・将来的にMSを発症する人は、最大15年前から精神的・身体的な不調を訴えていたことが明らかになった

・MSには、明確な症状が出る前の「プロドローム期」が存在している可能性が高いと考えられている

・この研究は、より早期の発見と介入によってMSの予後を改善する道を開くものとして注目されている

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