運動は心臓の健康を守るうえで最も効果的な習慣のひとつだと広く知られています。
定期的な身体活動は、心血管疾患、糖尿病、肥満、うつ病など多くの慢性疾患のリスクを下げ、精神的・身体的な健康の維持に大きく寄与します。
しかし、その一方で、持久系スポーツに取り組むアスリートは、一般の人に比べて「心房細動」という不整脈を発症するリスクが最大で4倍も高いことが、近年の研究によって示されています。
心房細動は、心拍が不規則かつ速くなる不整脈の一種であり、心不全や脳卒中のリスクを大きく高める可能性がある深刻な疾患です。
健康の象徴ともいえる高い体力を持つ人々が、なぜこのような潜在的に命に関わる心疾患のリスクを抱えるのでしょうか。
研究者たちは、心臓の健康においても「やり過ぎ」は害になる可能性があると指摘しています。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Athletes Have a Mysteriously Higher Risk of Irregular Heartbeat(2025/12/18)
参考研究)
・Risk of atrial fibrillation in athletes: a systematic review and meta-analysis(2021/07/12)
適度な運動は心臓を守る

まず強調すべき点として、運動が心臓にとって有害だというわけでは決してありません。
むしろ、ほとんどの人にとって、運動は心房細動の発症リスクを下げる明確な保護因子です。
40万人以上を対象にした大規模解析では、週に150〜300分の中〜高強度の運動を行っている人は、ほとんど運動をしない人に比べて、心房細動の発症リスクが10〜15%低いことが示されています。
この運動量は、世界保健機関(WHO)などが推奨する標準的な身体活動量と一致します。
さらに興味深いことに、この研究では性差も確認されました。
推奨量の最大3倍程度まで運動量を増やした場合、女性では心房細動リスクが約20%低下した一方で、男性では同様の保護効果は認められませんでした。
この点については、後述するように、ホルモンや心臓構造の違いが関与している可能性が指摘されています。
心房細動の治療としても有効な「運動」
運動は、心房細動を予防するだけでなく、すでに心房細動を発症している患者に対する治療法としても注目されています。
本論文の著者である Ben Buckley氏らが所属するリバプール・ジョン・ムーアズ大学およびリバプール大学の研究グループが行ったメタ解析では、心房細動患者が運動プログラムに取り組むことで、不整脈の再発リスクが約30%低下することが示されました。
加えて、生活の質(QOL)の向上、心肺体力の向上という点においても運動は有益でした。
ただし、この解析には限界もあります。研究ごとに、運動プログラムの期間、頻度、1回あたりの運動時間が大きく異なっていたため、「どの程度の運動量が最適なのか」については明確な結論を導くことができませんでした。
この点は、著者らが言及しているように、個別化医療(パーソナライズド・メディシン)の重要性を示しています。
すべての人に同じ運動処方が当てはまるわけではない、という事実です。
運動量が多すぎると逆効果になるのか

持久系スポーツの人気は年々高まっており、マラソン、トライアスロン、山岳ウルトラマラソンなどに参加する人は世界的に増え続けています。
こうした背景から、「どこからが心臓にとって有害な運動量なのか」という問いが、ますます重要になっています。
著者らの過去の研究では、運動量と心房細動リスクの関係は「J字型」を描くと提唱されています。
これはつまり、
• 運動不足 → 心房細動リスクが高い
• 推奨範囲内の運動 → リスクが大きく低下
• 推奨量を大幅に超える運動 → 再びリスクが上昇
という関係です。
実際、推奨量の10倍以上という極端な運動量になると、心房細動の発症率が明らかに高くなることが複数の研究で示されています。
アスリートの心臓に起きている変化
長期間にわたって高強度の持久トレーニングを行うアスリートの心臓には、特有の変化が生じることがあります。
研究では、一部の持久系アスリートの心臓に瘢痕(はんこん)=線維化の兆候が認められています。
これは心房細動だけでなく、他の心疾患の前兆となる可能性があります。
あるメタ解析では、アスリートは非アスリートに比べて、心房細動リスクが約4倍高いことが示されました。
この解析には、他の心疾患の症状や兆候を持たない人も含まれていました。
さらに注目すべき点として、若年アスリートの方が高齢アスリートよりもリスクが高いという結果も報告されています。
ただし、この理由については現時点では明確ではなく、さらなる研究が必要とされています。
男女差が示すヒント
心房細動リスクには、明確な性差が存在するようです。
40万人以上を対象とした別の研究では、男性で推奨量の10倍以上の運動を行っている人は、心房細動リスクが12%高いことが示されました。
これは、週に約7時間の高強度運動(高強度のランニングやサイクリングなど)に相当します。
一方で、同程度の運動量を行っている女性では、リスク上昇は認められませんでした。
この差については、女性の方が運動による心臓の構造的・電気的変化が少ない傾向にあることや、心臓保護作用を持つとされるエストロゲンが、運動による心臓適応を安定させている可能性が指摘されています。
ただし、これも確定的な結論ではなく、仮説の段階にとどまっています。
「量」だけでなく「強度」も重要
心房細動リスクは、単純に運動量だけで決まるわけではありません。
長期間にわたるトレーニングの総負荷と強度の組み合わせが重要だと考えられています。
スウェーデンで行われた約5万2,000人のクロスカントリースキーヤーを対象とした研究では、
• 出場レース数が多い人は、心房細動リスクが30%高い
• 完走タイムが速い人は、リスクが20%高い
という結果が示されました。
出場レース数はトレーニング量を、完走タイムはトレーニング強度を反映していると考えられ、運動の「量」と「強度」の両方がリスクに影響することを示唆しています。
なぜ心房細動が起こるのかは未解明

運動と心房細動を結びつけるメカニズムは、現時点では完全には解明されていません。
おそらく、複数の要因が同時に作用していると考えられています。
長年にわたる高負荷トレーニングは、心房に持続的なストレスを与え、心房の拡大や壁への負担増大を引き起こします。
これが線維化を招き、不整脈の温床となる可能性があります。
実際、単発の山岳マラソン後であっても、一時的な炎症反応の上昇や心房内の電気伝導の一過性の低下が観察されています。
これが長年にわたり繰り返されることで、病的な心臓リモデリングが進行し、心房細動リスクが高まる可能性があります。
一般ランナーが過度に心配する必要はない
著者らは、一般的な市民ランナーがマラソン練習によって心房細動リスクを大きく高める可能性は低いとしています。
ただし、週に何時間も高強度トレーニングを行う場合には、総運動量と強度を意識的に管理することが重要です。
心房細動は、適切な治療と管理によってコントロール可能な疾患です。
そのため、脈の乱れ、動悸、息切れといった症状に気づいた場合には、早めに医療機関を受診することが極めて重要です。
まとめ
・運動は大多数の人にとって心房細動リスクを下げるが、極端な高負荷・長期間の持久トレーニングは逆にリスクを高める可能性がある
・心房細動リスクには性差があり、男性アスリートで特に高くなる傾向が報告されているが、そのメカニズムは完全には解明されていない
・運動の「量」と「強度」の両方を考慮し、自分に合ったトレーニングを行うことが心臓を守る鍵とな

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