一般の人々にとって、風邪とは「最もよく知られ、最もよくかかる病気」でありながら、その正体は驚くほど複雑です。
医療が飛躍的に進歩した現代でも、私たちは依然として年に何度も風邪に悩まされ、そしていまだに確実なワクチンは存在していません。
興味深いことに、2025年における風邪予防の最善策は、100年前の1925年とほとんど変わっていないのです。
本記事では、19世紀末から始まった風邪研究の歴史的背景、ウイルス発見の経緯、予防法や治療法の変遷、そして風邪が「克服できない病気」である理由について、POPULAE SCIENCEの記事を参考にまとめます。
参考記事)
・Why we can’t squash the common cold, even after 100 years of studying it(2025/04/06)
風邪の正体と細菌学の黄金時代

19世紀後半、ドイツ出身の医師ロベルト・コッホが顕微鏡で病原体を確認したことにより、「病気は菌によって引き起こされる」という考えが医学界を大きく揺さぶりました。
当時の世界では、風邪は「悪天候」「霊的な力」「血の穢れ」のせいだと信じられていました。
しかし、コッホの研究を皮切りに、結核、コレラ、サルモネラ、ジフテリア、肺炎、破傷風などの原因菌が次々と解明され、医学はいわゆる「黄金時代」に突入します。
フランスの化学者ルイ・パスツールが狂犬病ワクチンを成功させたことも、この流れを強く後押ししました。

それでも1925年当時、多くの人々は風邪の原因について古い信仰を捨てられず、「悪天候や濡れた足」「体温の急降下」が風邪を招くと信じていました。
一方で科学者たちは、すでに風邪の正体が「何らかの病原体」の仕業であることを確信し始めており、風邪が極めて感染力の高い病気であることを主張していました。
風邪ウイルスの発見:1950年代の大転換点
風邪の研究は1950年代に大きく前進します。
アメリカの医学者ジョナス・ソークがポリオワクチンを成功させたことで、研究者たちは次なる研究対象として「風邪」を狙い始めました。
その研究では、風邪の原因はアデノウイルスなど特定のウィルスによるものと考えられていました。
しかし、ジョンズ・ホプキンス大学のウィルス学者であるウィンストン・プライスが1956年にライノウイルス(rhinovirus)を発見して以降、状況は一変します。
現在では、ライノウイルスにはA・B・C型をはじめ、150種類以上の型が存在することが分かっており、風邪研究はなおも複雑化した状態です。
つまり「風邪という一つの病気」は存在せず、似た症状を示す多数のウイルス感染をまとめた総称に過ぎなかったのです。
この事実こそが、風邪ワクチンがいまだに存在しない最大の理由です。
風邪ワクチンが作れない根本的な理由
現在知られている「風邪を引き起こすウイルス」は以下のとおりです。
• ライノウイルス(約30~50%)
• コロナウイルス(非 SARS・非 COVID 型で10~15%)
• アデノウイルス
• RSウイルス(RSV)
• パラインフルエンザウイルス など
風邪の原因となるウイルスは数百種におよび、もしワクチンを作ろうとすれば、膨大なウイルス株を1つにまとめる必要があります。
特にライノウイルスだけで100種類以上あるため、「共通するワクチン」を設計するのが困難なのです。
最近では RSV ワクチンが乳児や高齢者に対して利用可能になりましたが、これは風邪全体のごく一部に過ぎません。
そのため、現在でも依然として「風邪に効く万能ワクチン」は存在しないのです。
1925年頃の予防法は、現在でも正しい

論文の面白い点は、100年前の予防法の多くが現代でも有効だということです。
1925年のPOPULAE SCIENCEが米国公衆衛生局に対する記事を出版したとき、著者のマルコム・マクドナルド氏は次のように記していました。
「風邪の予防は、患者との接触を避けることに尽きる」
この主張は、ウイルスがまだ特定されていなかった時代としては驚くほど正確です。
さらにマクドナルド氏 は、乾燥した空気が粘膜を弱め風邪のリスクを高めると述べています。
現代の研究でも、乾燥した環境は粘膜の防御機能を低下させ、感染しやすくなることが確認されています。
また、風邪の流行が10月と1月にピークを迎えるという当時の観察も、現代の統計とほぼ一致しています。
特に日本を含む北半球では、学校の再開(10月)と年末年始の集まり(1月)がウイルス拡散のタイミングとなっているのです。
古き治療法は、現代との共通点がある
マクドナルド氏は、風邪の治療法として以下を推奨していました。
• 温かい風呂に入る
• 1~3日休む
• 果物や野菜中心の食事をとる
• 室内の換気をよくする
この考え方は現代の医療機関でも推奨されるもので、十分な休息、水分補給、栄養バランスの良い食事、加湿器の利用など、100年前の考え方とほぼ変わりません。
違いがあるとすれば、現代では市販の鎮痛薬・去痰薬・抗炎症薬が広く使えるようになった点です。
ただし根治薬は存在せず、風邪の症状が数日から2週間程度続く点は1925年と同じであることが明記されています。
100年研究しても「風邪を根絶できない」3つの理由

過去の研究から読み取れる、風邪を根絶できないことの大きな結論は次のとおりです。
1. 原因ウイルスが多すぎる(数百種)
2. ウイルスの変異スピードが早い
3. 風邪の重症度が低いため、研究投資が少ない
特に1点目が圧倒的に大きく、あるウイルスに対する治療薬やワクチンを作っても、多数の別ウイルスへの効果が及ばないため、医学的にも経済的にも「万能風邪ワクチン」を開発しにくい構造があります。
100年の間に、私たちは風邪について多くのことを理解してきました。
ウイルスの種類、感染経路、季節性、リスク因子について科学的な根拠を持って説明できるようになりましたが、最も大切な予防法は驚くほどシンプルです。
• 患者との接触を避ける
• 十分な休息
• 健康的な生活習慣
つまり、1925年の MacDonald が示した結論は、2025年でも有効なままなのです。
ただし、近年はウイルス学や免疫学が急速に発展しており、将来的には「万能風邪ワクチン」が開発される可能性があることも論文は示唆しています。
現時点でその実現可能性は不明確であり、曖昧な部分も残されていますが、今後の研究を待つ価値は十分にあります。
まとめ
・風邪は多数のウイルスが原因であり、共通ワクチンの開発が極めて難しいことが最大の課題
・1925年の予防・治療に関する多くの助言は、現代の科学でも有効であると確認されている
・100年以上の研究を経ても、基本的な対策は「患者との接触を避ける」「休む」「健康習慣を保つ」というシンプルなものであり続けている



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