生まれつき聴覚障害を抱える人は、人口のおよそ2,000人に3人ほどとされており、その多くは不可逆的で、生涯にわたる困難を伴うものです。
しかし、こうした状況を大きく変える可能性のある研究成果が報告されました。
先天性の感音性難聴を引き起こす原因として 3つの遺伝子変異 が新たに特定され、さらにその変異によるダメージを補う治療候補として、一般的なサプリメントであるL-アルギニンや、勃起不全治療薬として広く知られるシルデナフィル(商品名:バイアグラ Viagra)が有望であることが示されたのです。
この発見は、国際的な研究チームが大規模な遺伝子解析を通じて明らかにしたもので、特に カーボキシペプチダーゼD(CPD)という酵素をコードする遺伝子の変異 に注目が集まっています。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Viagra Reverses Damage Behind One Type of Deafness, Scientists Discover(2025/11/14)
参考研究)
・Carboxypeptidase D deficiency causes hearing loss amenable to treatment(2025/11/14)
CPD遺伝子の変異が聴覚障害の原因に

研究チームは、トルコの先天性の感音性難聴を持つ複数の個人に対し、共通してCPD遺伝子の変異がまれに存在することを突き止めました。
CPDは体内でアミノ酸の調整に関わる酵素であり、この機能に障害が起こると特定の代謝経路が影響を受けることが予測されます。
実際に研究の結果、CPD遺伝子の異常がアルギニンの産生低下につながっていることが明らかになりました。
アルギニンは、神経系において重要なシグナル伝達物質である一酸化窒素(NO)の原料となるアミノ酸です。
また、細胞内の情報伝達に関わる cGMP(環状グアノシン一リン酸) の量も低下していることが確認されています。
このアルギニン不足から一酸化窒素が十分に作れなくなると、聴覚を司る毛細胞がストレスを受けやすくなり、最終的には細胞死に至る と研究チームは説明しています。
特に音を検知するために重要な「短い毛」の細胞が死滅しやすいことが、マウスの蝸牛細胞で示されました。
アルギニン補給とシルデナフィル投与で細胞死が抑制
興味深いことに、研究チームが培養細胞やモデル動物にアルギニンを補給したところ、細胞死の減少と一酸化窒素のレベル回復が確認 されました。
つまり、CPD遺伝子の変異によって阻害された代謝経路の一部が改善され、細胞ストレスが緩和される可能性が示唆されたのです。
さらに、勃起不全治療薬として知られる シルデナフィル(Viagra) にも注目が寄せられました。
シルデナフィルは cGMPの作用を増強する薬剤 であり、CPDの変異によって不足したcGMPシグナルを補う可能性があります。
【 シルデナフィルの作用機序】
シルデナフィル(一般名、商品名バイアグラなど)は ホスホジエステラーゼ5(PDE5)阻害薬 として働く。
1.正常な勃起の生理機構
・性的刺激 → 海綿体神経から 一酸化窒素(NO) が放出される
・NO → グアニル酸シクラーゼ を活性化
・グアニル酸シクラーゼ → cGMP(環状グアノシン一リン酸) を増加
・cGMP → 平滑筋を弛緩させ、血管拡張 → 海綿体に血流が増加 → 勃起が成立
2. PDE5の役割
・PDE5 は cGMP を分解する酵素
・cGMP が分解されると平滑筋弛緩作用が弱まり、勃起が維持できなくなる
3. シルデナフィルの作用
・シルデナフィルは PDE5 を選択的に阻害
・その結果、cGMP の分解が抑制され、濃度が維持される
・平滑筋弛緩が持続 → 血流増加が続く → 勃起が維持されやすくなる
実験では、シルデナフィル投与によりシグナル機能の改善が観察され、これが難聴改善への新たな治療ターゲットになりうると研究者らは述べています。
ショウジョウバエにも同様の聴覚障害が見られる

マウスの実験だけでなく、研究チームは CPD類似遺伝子を改変したショウジョウバエ でも聴覚障害やバランス異常がみられることを確認しました。
これは、CPDが異種生物間でも非常に重要な役割を果たす酵素であり、特に「毛細胞」の正常なシグナル処理に不可欠であることを示唆しています。
Zhai 氏は次のように語っています。
「CPD は毛細胞内のアルギニン濃度を維持し、一酸化窒素を介した迅速なシグナルカスケードを可能にすると考えられる。神経系全体で広く発現しているにもかかわらず、毛細胞が特に脆弱である理由はここにある。」
治療応用には課題も――ただし希望は大きい
今回の成果は非常に有望ではあるものの、研究者らは まだ初期段階の研究であり、細胞培養や動物モデルの結果がそのまま人間に当てはまるとは限らない と慎重な姿勢を示しています。
特に、L-アルギニンやシルデナフィルが実際に人間の先天性難聴を改善するかどうかは、今後の臨床試験やさらなる研究が必要です。
また、研究チームは英国の大規模な遺伝子データベースを分析した結果、発見されたCPD遺伝子変異が他の難聴患者にも存在することを確認しており、これは治療対象となりうる患者層が想定より広い可能性を示しています。
Zhai 氏は次のように述べています。
「我々の研究は、このタイプの難聴の基盤となる細胞・分子レベルの仕組みを理解しただけでなく、治療につながる可能性のある有望なアプローチも見つけた点が非常に重要。FDA承認済みの薬剤を希少疾患の治療に転用するという努力の好例といえるだろう。」
まとめ
・CPD遺伝子の変異が先天性感音性難聴の一因であることが新たに発見された
・アルギニンの補給とシルデナフィル(Viagra)が細胞機能回復に役立つ可能性が示されたが、これは動物実験に基づく初期段階の知見であり、人での有効性は未確定



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