南京大学を中心とする研究チームが行ったメタ分析により、糞便移植(Fecal Microbiota Transplantation:FMT)がうつ病症状の軽減に効果を示す可能性が明らかになりました。
特に、移植を経口ではなく肛門から直接腸内に投与した場合に、より顕著な改善効果が見られることが確認されています。
さらに、過敏性腸症候群(IBS)を併発している患者において、その効果がより強く表れる傾向も報告されています。
ただし、この治療効果は6か月後には弱まる傾向が見られたとされ、長期的な有効性については今後の研究が求められています。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Fecal Transplants Can Help Alleviate Depression, Evidence Shows(2025/10/25)
参考研究)
研究の概要と方法

このメタ分析は、2019年から2024年までに実施された12件のランダム化比較試験(RCT)を対象に行われました。
対象となった被験者は合計681人で、中国を中心に、アメリカ、オーストラリア、カナダ、フィンランドなど複数の国で実施された臨床研究が含まれています。
研究チームを率いたのは、南京大学の疫学者であるXiaotao Zhang氏で、Zhang氏らは、各研究で使用されたFMTの投与経路、観察期間、うつ病症状の改善度を詳細に比較し、統合的な効果を評価しました。
その結果、FMTを肛門経路で投与した場合に、抗うつ効果がより明確に現れることがわかりました。

これは、経口カプセルなどを介して腸に届く前に消化管内で一部の有益菌が失活してしまう可能性があるためと考えられています。
腸内微生物叢とメンタルヘルスの関係
糞便移植とは、健康なドナーから採取した便を処理し、患者の腸内に移植することで、腸内の微生物バランスを回復させる医療手法です。
腸内環境(腸内マイクロバイオーム)は、細菌や真菌、原生生物、ウイルスなど多様な微生物で構成されており、近年の研究では、これらが免疫、代謝、神経活動、さらには精神的健康にも深く関わっていることが明らかになっています。
特に、腸と脳をつなぐ「腸脳相関(gut-brain axis)」の働きが注目されています。
腸内環境の乱れが神経伝達物質の生成や炎症反応に影響を及ぼし、それがうつ症状の悪化に関与している可能性が示唆されています。
Zhang氏らの分析も、この関連を裏付けるものといえます。
治療効果の持続性と課題
研究チームによると、FMTの抗うつ効果は治療後2週間から12か月の間で観察され、短期間では明らかな改善が見られるものの、6か月以降は効果が徐々に減少することが確認されました。
一部の試験では1回の投与のみで効果を評価していたため、長期的な効果を判断するには限界があるとされています。
そのため研究者たちは、長期間にわたるランダム化比較試験と統一的な評価基準の確立を強く呼びかけています。
また、FMTがうつ病だけでなく、過敏性腸症候群(IBS)、肥満、二型糖尿病などの疾患にも有効性を示す可能性があることも報告されています。
特に、抗生物質治療でも改善が難しい腸内感染症に対して、FMTはより高い成功率を持つことが知られています。
FMTに伴うリスクと安全性への懸念

しかし、FMTはまだ一般的な治療法とは言えず、医療現場での慎重な実施が不可欠です。
腸内に導入する微生物の種類や量を誤ると、腸内の他の領域に悪影響を及ぼす可能性があるためです。
たとえば、大腸を目的として移植した菌群が小腸にまで到達すると、小腸内細菌の過剰増殖(SIBO)を引き起こすおそれがあります。
さらに、不適切なドナーから採取された便に病原性微生物が含まれていた場合、深刻な感染症を引き起こす危険もあります。
そのため、この治療法は専門医の監督下でのみ行うべきであり、家庭などで自己流に試すことは非常に危険です。
腸内環境とメンタルヘルス治療の新たな展望
うつ病は世界で約3億3000万人が罹患していると推定されており、多くの患者が現在の治療法(抗うつ薬や心理療法)で十分な改善を得られていません。
そのような中で、腸内環境の改善を通じて精神状態を整えるという新しいアプローチは、今後のメンタルヘルス治療における有望な方向性として注目されています。
Zhang氏らの研究結果は、腸内マイクロバイオームを整えることで、うつ症状を軽減できる可能性があることを明確に示した点で意義深いといえます。
研究チームは、「腸内環境を健康に保つことが、心の健康を守る鍵となる」と強調しています。
若年期の便サンプル保存という提案

この研究の中では、興味深い提案も取り上げられています。
いくつかの専門家は、若く健康な時期に自分の便サンプルを採取・保存しておき、将来的な病気や腸内環境の乱れに備えるというアイデアを推奨しています。
将来、病気や抗生物質の使用によって腸内フローラが損なわれた場合に、その保存サンプルを利用して腸内環境を元の健康な状態に戻せる可能性があるからです。
この提案はまだ実用化の段階には至っていませんが、腸内細菌と人間の健康との共生関係を考える上で非常に興味深い視点を提供しています。
研究の意義と今後の課題
本研究は、腸内細菌叢が精神疾患に及ぼす影響の科学的裏付けを強化する重要なステップです。
とはいえ、分析対象となった研究の多くは比較的短期的な観察にとどまっており、FMTの長期的な安全性や再発率に関するデータはまだ不十分です。
また、参加者の年齢層や基礎疾患の違いもあり、今後はより多様な条件を含む国際的な研究が求められています。
一方で、腸内細菌が神経伝達や免疫応答、さらには脳の発達にまで関与しているという新しい知見は、うつ病治療の概念を根本から変える可能性を秘めています。
人間の健康は腸内の「見えない共生者たち」に大きく依存しているのかもしれません。
まとめ
・FMT(糞便移植)はうつ病の症状を一時的に軽減する可能性があるが、効果は6か月程度で弱まる傾向がある
・南京大学の研究では、経口よりも肛門経路での移植がより高い有効性を示した
・長期的な効果、安全性、倫理的課題の解明には、今後さらなる国際的研究が必要である


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