現代社会において、私たちの生活はかつてないほど「座る」時間に支配されています。
リモートワークの普及や高齢化社会の進行により、長時間座位で過ごす人々が増えている中で、最新の研究が「座る」という行為そのものが脳に悪影響を与える可能性を示しました。
しかも、その悪影響は、たとえ定期的に運動をしていたとしても完全には打ち消せないというのです。
本研究は、アメリカのヴァンダービルト大学、ピッツバーグ大学、韓国のソウル国際大学の研究者たちによって実施されました。
神経科学の分野で権威ある学術誌『Alzheimer’s & Dementia』に2025年に掲載され、大きな注目を集めています。
以下に研究の内容をまとめます
参考研究)
研究の背景

これまでの一般的な健康常識では、「長時間座っていても、適度に運動をしていれば健康リスクは下がる」と考えられてきました。(Device-measured physical activity, sedentary time, and risk of all-cause mortality: an individual participant data analysis of four prospective cohort studiesなどの研究より)
そんな中、研究者たちは高齢者の脳における座位行動の影響に注目し、
「運動習慣がある人でも、長時間座ることによる脳への影響は避けられないのか?」、
「座る時間が長いことが、認知症やアルツハイマー病のリスクを高めるのではないか?」
という疑問を持ちました。
このような問いに対して、実際の被験者データを用いて科学的なアプローチができるかを探ることを目的とし、研究がスタートされました。
研究方法──ウェアラブル端末と7年にわたる追跡調査
研究チームは、50歳以上の男女404名を対象とし、まずは1週間にわたる身体活動量をウェアラブルデバイスで詳細に記録されました。
これにより、被験者が一日に何時間座っていたか、また運動強度はどの程度だったかといった客観的データを収集することができました。
その後、7年間にわたり追跡調査を実施し、被験者の脳構造の変化と認知機能の推移を、定期的なMRIスキャンと認知テストを通じて観察しました。
調査の過程で、以下のような要点が明らかになりました。
• 被験者の87%が、週に150分以上の中程度の運動を行っていた
• にもかかわらず、1日に座っていた時間が長い人ほど、脳の萎縮や認知機能の低下が見られた
• 特に、記憶をつかさどる海馬(ヒッポキャンパス)の萎縮が顕著だった
研究結果──脳に悪影響を与える「座りすぎ」の実態
研究の結果、被験者全体の大多数が、一般的な健康ガイドラインを満たしていたにもかかわらず、長時間座っている人ほど認知能力の低下や神経変性の兆候が強く表れていたことがわかりました。
脳の海馬領域は、記憶の形成や空間認識に深く関与しており、アルツハイマー病の初期症状が最も早く現れる箇所として知られています。
この部分の萎縮が早期に進行していることは、将来的な認知症発症のリスクを示すシグナルと考えられます。
また、座位時間と海馬の厚みを比較することで、座る時間が長いほど海馬がより薄くなるという相関関係も見られました。

これは因果関係を証明するものではありませんが、非常に強い関連性を持つことは統計的に示されています。
また、遺伝的にアルツハイマー病のリスクが高いとされる人々においては、さらに強い影響が確認されたという点も見逃せません。
専門家のコメント──運動だけでは防げない脳の劣化
研究を主導したMarissa Gogniat氏は次のように語っています。
「アルツハイマー病のリスクを減らすには、毎日少し運動するだけでは不十分である。座っている時間そのものを意識的に減らすことが、長期的な脳の健康維持につながる」
また、ヴァンダービルト大学のAngela Jefferson氏は、「本研究は、高齢者、特に遺伝的リスクのある方々において、座位時間の短縮が重要な予防戦略になり得ることを示している。定期的に立ち上がり、日常生活の中に自然な動きを取り入れることが求められる」と指摘しています。
生活への応用──今すぐできる「脳のための立ち上がり習慣」

本研究の意義は、単なる座りすぎの危険性を警告するだけでなく、日常の中でどのように対処すべきかという指針を提示している点にもあります。
以下のような行動を意識するだけでも、脳の老化を抑制する助けになります:
• 1時間に1回、3〜5分間の軽いストレッチや散歩を取り入れる
• 在宅勤務中はスタンディングデスクを利用する
• テレビ視聴や読書の合間にこまめに立ち上がる
これらは、特別な器具やトレーニングを必要とせず、誰にでもすぐに始められる予防策です。
重要なのは、「動くこと」と「座らないこと」を切り離して考えるという新たな視点です。
今後の展望──「座る社会」に向き合うために
現代人は一日に平均10時間以上を座って過ごしていると言われています。
これは単なるライフスタイルの問題ではなく、将来的な脳機能の低下や認知症のリスクに直結する深刻な健康問題となりつつあります。
この研究はそのリスクを科学的に示し、社会全体として「座らない工夫」を取り入れる必要性を示唆しています。
働き方の見直し、教育現場での取り組み、高齢者施設での支援体制など、多方面での連携が求められるでしょう。
まとめ
・1日に長時間座って過ごすことは、たとえ運動をしていても脳の萎縮や認知機能低下を引き起こすリスクがある
・記憶をつかさどる「海馬」の萎縮が顕著に確認され、アルツハイマー病との関連も示唆された
・座る時間を意識的に減らすことが、今後の脳の健康を守るための重要な戦略となる
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