【前回記事】
人間の由来
『種の起源』の中では、人間についての話題が避けられてきたことが見て取れます。
これは、ダーウィンがヒトがどのように誕生したのかを考慮しなかったからではなく、意図的に避けていたからだと考えられます。
そうした理由に、人間がもつ情動や心理的な心の動き、起源についての考察が必要だったことが挙げられます。
その伏線として、『種の起源』の最後にはこのような言葉を残しています。
「遠い未来、研究分野はさらに広がっていくように見える。
心理学は新たな基盤の上に築かれ、やがて、人間の起源とその歴史についても光が投じられることになるだろう。」
1871年、彼が62歳の頃、この言葉に梯子を架けるように書き上げたのが『人類の由来と性に関する淘汰(The descent of man and selection in relation to sex)』です。
『種の起源』では語られなかった、なぜ人間には情動があるのか、情動と行動はどう違うのか……といった疑問について言及した著書です。
以前まとめた、“【歴史を変えた心理学②】情緒を解き明かそうとしたモーズリーとダーウィン”に関係する内容で、初期の精神医学や心理学として今尚注目を浴びています。
今回からは、『種の起源』の続編とも言える、『人類の由来と性に関する淘汰』の内容に触れながら、ダーウィンの考えをまとめていきます。
単起源説と多起源説
“飼育栽培下での変異”では、カワラバトがファンテールやポーターになるなど、単一の種から多様な種へと変化すると述べられていました。
ダーウィンは、このハトの多様化と同様に、ヒトにおいても一つの起源となる種があるのではないかと考えました。
彼が生きた当時、人間の起源はもちろんのこと、世界中のあらゆる地域の人種がどこを発祥とするのかさえ見当がついていませんでした。
学者の間では、人種によって異なる由来があるとする“多起源説”と人種は違うとしても一つの共通の祖先から生まれたとする“単起源説”とが激しく対立していました。
植民地経済の強い影響下にあったアメリカ南部などでは、多起源説が受け入れられていました。
これは、奴隷の使役と所有という歴史の背景から、白人と黒人は別の生き物であるという根拠を正当化しようとしたことが要因です。
また、キリスト教的な解釈が尊重されている地域では、アダムとイヴが最初の人間という聖書の教えから、単起源説が支持されることが多くありました。
このように、政治的なイデオロギーや宗教的な解釈が入り混じっていることもあり、そこに本質が含まれていたかと言われると疑問が残ります。
これに対しダーウィンは、自然科学の立場から“単起源説”を主張します。
かつてビーグル号で航海を共にしたジェミー(フエゴ島の島民の一人)たちを思い出してみましょう。
未開人でありながらもイギリスの教育を受けたことで、皆が英語やマナーを身につけ、当時の現代人と変わらない倫理観を身につけることができていました。(詳しくは【チャールズ・ダーウィンの歴史⑤】フォークランドオオカミと未開人へ)
彼は、人種の間には、人間と動物のような隔たりがあるわけではないことを分かっていたのです。
また、父の祖父であるジョサイア・ウェッジウッド1世と母の祖父であるエラズマス・ダーウィンらの反奴隷制度の精神を姿勢を引き継いだことも理由になっているかもしれません。
だた、少しずつ変化していくフジツボの分類が困難だったように、人種を定義することや客観的に区分することは不可能に近いと結論づけています。
ジェニー人類発祥の地
では、人類は一体どこを起源としているのか。
この疑問を解くためにダーウィンは、ゴリラやチンパンジーなどの類人猿に注目しました。
1837年ごろ、彼はオランウータンのジェニーと出会っています。
オランウータンは、東南アジアのスマトラ島とボルネオ島にの生息する大型の類人猿です。
植民地の拡大に伴って、この謎の類人猿の存在が知られるととも、“森の人(Orang=人、Hutan=森)”として恐れられる存在でもありました。
しばらくして、オランウータンが生物学の研究の対象となると、類人猿と人類の関係が模索されるようになりました。
捕獲されたオーラウータン(ジェニー)がロンドン動物園にやってくると、ヨーロッパ中の話題となりました。
というのも、ジュニーは洋服を着て、椅子に座り、紅茶を飲むなど、人間とよく似た仕草をしたという噂が広まったからです。
当時、動物園は一般公開されていませんでしたが、ダーウィンはロンドン動物学会の会員だったため、自由に出入りすることができました。
そこでジェニーが果物を食べたくて泣いている様子や、我慢の末に手にしたリンゴを喜びの“表情”で頬張る様子を、人間の行動と似通っていると分析しました。
このとき、人間とオランウータンが共通の祖先であることを確信したのかもしれません。
彼は、「人間と動物との差は程度の問題であって、質の問題ではない」という旨の言葉を残しています。
では、オランウータンが生息する東南アジアが人類の発祥の起源なのか……。
ダーウィンの答えはそうではありませんでした。
彼は、オランウータンよりもゴリラやチンパンジーの方が解剖学的に人間に近いと考えました。
表情や感情などは、分化して行った後に獲得したものだと考えたのです。
そして、ゴリラやチンパンジーの生息はアフリカであり、ダーウィンもそのように、仮説を立てました。
この仮説は彼のの死後に立証されることになります。
1987年、アメリカの人類学者レベッカ=チャンらは、世界各地から集めた147人の現代人からミトコンドリアDNAを集めました。
ミトコンドリアは細胞内にある小器官で、女性を通じてのみ遺伝する性質があります。
集めたDNAを比較したところ、現生人類の共通の女系祖先が16±4万年前のアフリカにいたことが分かりました。
これはミトコンドリア・イヴ説として知られ、今では人類発祥の有力な説として知られていると同時に、ダーウィンの仮説を裏付けるものとして定着しています。
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