この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきます。
“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。
またそれらの言葉がこの本の要約にもなるので、よろしければ参考までにどうぞ!

「彼は仕事においても、遊びごとにおいても、考えることを学んだ。」
エミールは農村の青年や若い未開人と同じように、完全な自由のうちに育てられている。
彼らと同じように、大人になると分別がついて大人しくなるだろう。
彼らとの違いは、飲んだり遊んだりするためだけに行動しないで、彼はその仕事においても、遊びにおいても、考えるということを学んだということだ。
私が示してやる考察の材料は、彼の好奇心をかき立てる。
彼にとっては全く新しいものでも、理解できる状態にあるのだ。
「彼を取り巻いている危険をはっきり見せてやることだ。」
私の心づかいのおかげで、エミールは二十歳まで素朴で純真さのうちに留まっているものと考えても、機会がくればすぐに私の手から逃れようとするだろう。
(中略)
そこで私がとるべき道理にかなった態度はひとつしかない。
それは自分の行動に責任を持たせることだ。
そして、彼を取り巻いている危険をはっきりと見せてやることだ。
私は彼の無知のおかげで彼を引きとめていた。
これからは知識によって彼を引きとめなければならない。
「今こそ私の報告書を彼に見せるときだ。」
彼の時間と私の時間の用い方を彼に教えるときだ。
彼はどういう者で、私はどういうものかを。
彼はどういうことをしてきたか、私はどのようなことをしてきたかを。
私たちがお互い何を相手から受けているかを。
彼のあらゆる道徳的な関係、彼が約束した全てのこと、彼に約束された全てのことを。
能力の進歩の道程において彼はどこまで達しているか、これからどのような道を歩まねばいけないかを。
そこに見出される困難とその困難を乗り越える方法を。
どういうことろまで私が助けていけるのか、どういうところでは彼が自分を助けることができるのかを。
彼は今、移り変わりの時期にあることを。
新しい危険に取り巻かれていることを。
そして、現れはじめた欲望に耳を傾けないために自分自身ができることとそれができる理由を。
これからは闘いなしには済ませられない。
不意打ちをされないように、彼は敵を知らなければならないのだ。
まとめ
今回はエミールが成長し、旅立つ頃の話でしたね。
ただ言われたことを機械的に行う子どもではなく、考える力を持った子どもの大切さを訴えています。
考えられる子として育った子は、その先体験したことのない新しいこと出会ったとしても、自分で理解できるという考えが伝わってきます。
そして巣立ちのときには、今までの関係やその子の能力、これから降りかかるであろう危険についてを伝えることで社会に羽ばたく準備をする……。
そのためには、世の中の真実やできることできないことをハッキリと伝え、裏づけとしての報告書があると良いと言うことですね。
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