千円札と言えばかつては夏目漱石ですが、今では野口英世となっているのは皆さんご存じの通り。
黄熱病の研究に没頭し、自身も黄熱病で死ぬという悲劇の人生を歩んだ人物でもあります。
今回からはそんな野口英世についての人生に興味を持ったので、彼についてまとめていこうと思います。
英世の母、野口シカ
野口英世の話に入る前に、どうしても欠かせない母シカの存在があります。
どんなことにも負けない強き母であったシカ。
先ずは彼女の人生を追っていきます。
貧しい家に生まれる
嘉永6(1853年)年9月16日、陸奥国耶麻郡三城潟村にて出生。
彼女の過酷な人生は幼い頃から始まりました。
当時、曾祖父、祖父、祖母、父、母の6人で暮らしていました。
当時の貧しい暮らしに耐え兼ね、母ミサはシカが2歳の時一人村を出ていってしまいます。
更にシカが幼い頃、曾祖父が早くに亡くなり、祖父と父は遠くへ奉公勤めに出ていってしまいます。
家は幼いシカと祖母の二人で切り盛りしていくしかありませんでした。
5歳の頃から働き始める
祖母は老いた体でも何とか家計を助けようと働きますが、力の必要な男仕事をするにも限りがあり、貰える賃金もわずかでした。
その頃からシカは家計の助けになればと村の家々の子守をするようになり、少しばかりの食べ物や駄賃を貰うようになっていました。
一人で父の奉公先へ…
6歳になったある春、父が恋しくなったシカは、父の奉公先である猪苗代(6キロほど)まで歩こうと決心します。
人に道を尋ねながら、父の奉公先である城代(じょうだい)までたどり着き父に会うことができます。
その行動が城代の奥様の目に止まり、その健気さに感動した城代の奥様は、沢山のみやげ物と父への休暇を与えてくれました。
シカ、奉公に出る
シカが7歳になると、二瓶という大きな農家の家に子守奉公に出ることにします。
子守においては誰にも負けないと、自信をもっていたシカですが、祖母は迷いました。
理由は、二瓶家の女将さんは非常に厳しい人で有名であり、男でさえ奉公を投げ出してしまう程だったからです。
反対されたシカですが、自分で二瓶家に直談判し、7歳ながら子守奉公をすることに決めます。
鬼の女将
いざ奉公を始めたシカですが、女将さんは評判通りの厳しい人でした。
ホウキや履物扱いなどはもちろん、誰もが見落とすような小さなゴミに気を遣うことでさえ、女将にとっては教育の対象でした。
幼いシカも例外ではなく、幾度となく厳しい口調で叱られ涙を流すことも多かったそうです。
男仕事も任されるようになる
子守奉公から数年が過ぎた頃、シカは男衆に交じって仕事を任されるようになります。
しかし女将の厳しさは相変わらずでした。
真冬のある夜、寒さで感覚の無くなった指を火鉢にかざしたところを女将に見られ酷く叱られてしまいます。
女将は、「指先が寒いのなら氷水に指を入れ、その手で板を叩けば良い」という謎の助言をします。
その日からシカは、指先が凍えたときには女将の助言通りにするようになったそうです。
滅多に奉公人を褒めない女将ですが、シカの勤勉で素直な態度に感心し、「自慢の奉公人を持った」と村人に言う程になったそうです。
続く…。
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