の続き…。
ドイツ連邦議会にプロイセン大使として出向いたビスマルク。
当時の議会はオーストリアが支配していたと言っても過言ではなく、議長のオーストリア大使が座るまでは他の国の大使は座ることができず、オーストリア大使のみが議会中に煙草を吸うことができました。
それくらいオーストリアのドイツ連邦議会における地位が高かったのですね。
オーストリアに“喧嘩”を売る
そんな皆がオーストリア大使に気を遣う中でもビスマルクはお構いなし。
会議が始まるや否や勝手に議席に座り出し、葉巻を吸い始めます。
これに対しオーストリア大使はその無礼な行為を非難をしますが、
タバコを吸わなかったら話し合いがまとまるのか?
とビスマルクは全く相手にしません。
各国の大使たちも彼の行為に驚きますが、次第にオーストリアに対して皆が意見を申し立てるようになっていきました。
オーストリアの抜け駆け
クリミア戦争に便乗して、オーストリア領土拡大だ!
勢力を失っていたオスマン帝国を攻め、領土拡大を考えたロシア帝国。
そんなロシア帝国の侵略に待ったをかけたのが、イギリス、フランス帝国、サルディニア王国でした。
1853年、
「イギリス、フランス帝国、サルディニア王国、オスマン帝国」VS「ロシア帝国」
からなるクリミア戦争が始まりました。
ヨーロッパの強国がロシア帝国と戦う話を聞き、オーストリア帝国もこれに便乗してあわよくばロシア領地を獲得しようと画策します。
ビスマルクはこのオーストリアの領土拡大を真っ向から阻止しようとします。
実はこのときオーストリアは、大国同士の争いに参加できるほどの戦費を捻出することができませんでした。
そのため、自分が主権を握っているドイツ連邦全体を巻き込み、他国のお金を軍資金とすることで参戦しようとしたのです。
ビスマルクはこの思惑を察知。
オーストリアは私利私欲の為にドイツ連邦を利用しようとしている!
とメディアに訴え、ドイツ連邦全体を味方に付けます。
結局、オーストリアと共に戦おうとする国はどこにも現れませんでした。
「スパシーバ!ビスマルク!」
結局このオーストリアの抜け駆け行為は、ロシアはもちろんイギリスやフランスまでをも失望させ、孤立の一途を辿っていくのです。
逆にプロイセンはロシアや他国から、戦争の悪化を防いだと感謝され国際的な立ち場を飛躍的に上げていくのです。
大国オーストリアを翻弄させたビスマルクは、国際的にも名が知られるようになっていきました。
鉄血宰相の誕生
「鉄と血によって解決されるのだ。」
この上ない外交成果を出したビスマルクは、1862年遂にプロイセン王国宰相に選任されます。
宰相就任後10日後、軍備拡張案を審議する予算委員会にて、あの有名な鉄血演説をするのです。
「現下の大問題は演説や多数決によって解決されない。鉄と血によって解決されるのだ。」
武器を示す「鉄」と兵士を示す「血」こそ、ドイツ統一を実現するための方法であると言ってのけたのです。
これを機に軍備拡張路線を強めていったのです。
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