【前回記事】
この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書“韓非子”についてまとめていきます。
韓非自身も彼の書も、法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。
そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。
【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。
今回のテーマは“書に之(これ)を言う、固(もと)より然り”です。
書に之を言う、固より然り
【本文】
書曰わく、之(これ)を紳し之を束す、と。
宋人に治る者有り。
因(よ)りて重帯(ちょうたい)して自ら紳束(しんそく)せり。
人曰わく、是(こ)れ何ぞ、と。
対(こた)えて曰わく、書に之(これ)を言う、固(もと)より然り、と。
書に曰わく、既に雕(ちょう)し既に琢(たく)し、其(そ)の樸(はく)に還帰す、と。
梁人(りょうひと)に治むる者有り。
動作には学を言い、事を挙ぐるには文に於(お)いてす。
曰わく、之(これ)を雕せば顧(かえ)りて其の実を失わん、と。
人曰わく、是れ何ぞ、と。
対えて曰わく、書に之を言う、固より然り、と。
【解釈】
古書に、“衣装を着た最後に紳という広い幅の帯を締めて格好を整える必要がある”とと書かれている。(物事は締めが大切という教訓でもある。)
あるとき宋に、書を読んで習う人がいた。
その宋人はこの句を読み、衣裳を身に着けた最後、紳を締めるだけで良いのに、さらに束を締めて二重にした。(紳の後に束をすると勘違いした)
人がその様子を見て、「これは何と言う形ですか」と怪しんで問うた。
彼は、「古書にそう書いてあるのです、昔からちゃんと決まっているのです」と答えた。
古書に、“玉を削り磨いて美しくするが、最後には光を潜め柔らかい感じを出し、最初のあらたまのようになる、そのときが最も美しい”と書かれている。
あるとき梁(魏)に、一つの動作に学問の根拠を述べ、一つの行為に古書の文句を引用する人がいた。
その梁人は上の玉の句を読み、「物事を削ったり磨いたりしすぎると、返って真実を見えなくしてしまう」と解釈していた。
人がその様子をみて、「それはどういう意味ですか」と問うた。
彼は、「古書ではそう言われているのです、昔からちゃんと決まっているのです」と答えた。
過去の教訓も間違って伝わることがある
宋人と梁人の学人が古書の解釈を読み間違っていた逸話です。
ある程度学のある人がそれっぽいことを言っていたとしても、実は間違っているかもしれないという教訓でもあります。
古典文学など、古くからある本の良さは、様々な人が経験と共に本を読み、あらゆる角度から議論されたうえで解釈されてきたという点にあると自分は考えています。
ある人は間違った解釈をし、ある人はその内容からさらなる学びを得たかもしれません。
そういった点も含め、“(自分も含め)この人の解釈は違うかもしれない”と思うことが新たな視点を見つけるきっかけなるでしょう。
韓非としても、一つの解釈に拘らず様々な見方をするべきだと伝えたかったのかもしれませんね。
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