科学

「何をしても楽しくない……」それはストレスが原因かも 〜アンヘドニア〜

科学

1896年、フランスの心理学者テオデュール・アルマンド・リボーは、喜びを感じないという感情機能の障害を「アンヘドニア(Anhedonia」と名付けました。(感情の心理学:La Psychologie des sentiments より)

 

テオデュール・アルマンド・リボー(1839~1916年)

   

これは、古代ギリシャ哲学の“享楽(快楽)主義”に当たる“ヘドニア(hedonia)”を語源とし、ヘドニアはご飯を食べたときや良い音楽を聴いたときなど五感を通した短期的な喜びを意味します。

 

このヘドニアに“~がない”を意味する接頭辞“アン(an)”を付け加えて「アンヘドニア=喜びを感じない」となったようです。

 

現在アンヘドニアは、ストレスが引き起こす喜びの喪失として、うつ病の中核的な症状として知られています。

 

日常生活の中での楽しみを奪い、多くの患者にとって大きな苦痛を伴うものの一つです。

 

この症状は従来の治療法では改善が難しいとされていますが、カリフォルニア大学によるマウスを用いた新たな研究が、アンヘドニアの神経学的基盤を明らかにしました。

 

研究によれば、ストレスによる喜びの喪失は、脳の特定の領域間の通信断片化と関連していることがわかりました。

 

今回のテーマとしてまとめていきます。

 

参考研究)

Stress can dull our capacity for joy: mouse brain patterns hint at why(2024/12/04)

Understanding the neural code of stress to control anhedonia(2024/12/04)

 

 

アンヘドニアへの挑戦

 

アンヘドニアは、重度のうつ病患者の70%以上に見られる症状で、喜びや楽しみを感じる能力の低下を指します。

 

この症状は、統合失調症、パーキンソン病、その他の神経学的・精神疾患にも共通して見られることがあり、患者の生活の質を大きく損ないます。

 

ニューヨーク市のWeill Cornell Medicineの神経科学者Conor Liston氏は、「アンヘドニアは患者が強い苦痛を感じる症状の一つだが、現行の治療では効果が得られにくい分野でもある」と述べています。

 

彼によれば、アンヘドニアの神経科学的基盤に関する理解はこれまで限定的ですが、今回の新しい発見がその理解を深めることになるだろうとしています。

 

 

マウスを用いた実験: 喜びの喪失の検出

カリフォルニア大学サンフランシスコ校のMazen Kheirbek氏の研究チームは、ストレスがアンヘドニアを引き起こすメカニズムを解明するため、マウスを用いた実験を行いました。

 

研究では、マウスにより大きく攻撃的なマウスと接触させることでストレスを与え、その後、砂糖水と普通の水を選ぶ行動を観察しました。

 

通常、マウスは甘い砂糖水を好みますが、ストレスを受けた一部のマウスは普通の水を選び、この行動はアンヘドニアの兆候と解釈されました。

 

一方で、同じ条件下でも砂糖水を選ぶマウスもおり、研究者たちはこれらを「回復力のあるマウス」と分類しました。

  

 

脳の通信パターンの違い

研究チームは、マウスが水の選択をする際の扁桃体と海馬という2つの脳領域の神経活動を測定しました。

 

これらの領域は、感情や記憶の処理において重要な役割を果たします。

 

結果として、回復力のあるマウスではこれらの領域間の通信が強固であることが確認されました。

 

一方、脆弱なマウスでは感情処理に関する通信が断片的であり、神経活動のパターンが乱れていました。

 

これらのデータは、脳の通信パターンがアンヘドニアの発生において中心的な役割を果たすことを示しています。

 

 

神経刺激による回復力の強化

 

この通信の断片化を修復するため、研究者たちは脆弱なマウスの扁桃体と海馬の神経活動を人工的に活性化させる化合物を注入しました。

 

その結果、マウスは再び砂糖水を選ぶようになり、脳活動のパターンも回復力のあるマウスに似たものとなりました。

 

この発見は、軽度の神経刺激が脳の回復力を向上させる可能性を示しています。

 

Kheirbek氏は、「軽い刺激によって神経活動を適度に高めることで、神経伝達のパターンを強化できる」と述べています。

 

従来の研究では、脳の特定の部位を刺激すると逆に機能を損なうリスクが指摘されていましたが、この研究は慎重な刺激が有益であることを示しています。

 

今回の研究結果は、アンヘドニアが単に喜びを感じられない状態ではなく、報酬に関する情報を処理し、それに基づいて行動を導く能力の変化に関連していることを示唆しています。

 

 

人間への応用と今後の研究

マウスで得られた結果が人間に適用可能かどうかは、今後の研究にかかっています。

 

一部の治療抵抗性のうつ病やてんかんの患者の脳に埋め込まれた電極から得られるデータは、今回の研究結果を検証するための鍵となるかもしれません。

 

さらに、研究チームは扁桃体と海馬以外の脳領域、特に感情の調整に関与する前頭前野にも注目しています。

 

また、より複雑な意思決定タスクを動物実験に導入することで、人間の行動をより正確に再現することを目指しています。

 

 

まとめ

・ストレスが扁桃体と海馬の通信に影響を及ぼし、喜びを感じる能力を低下させることが示された

・軽度な神経刺激が回復力を高め、アンヘドニアの症状を改善する可能性がある

・人間への応用に向けた研究が進行中で、より複雑な行動モデルを用いた実験が期待される

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