【前回記事】
タヒチからオーストラリア大陸へ
ガラパゴス諸島を出発し次に向かったのは、常夏の島タヒチでした。
ダーウィンが不毛と感じたガラパゴスとは対照的に一年を通して気候も良く、ココナッツやパイナップルなど熱帯果樹に囲まれ、先住民たちも好意的でした。
少し山に登ると波に打ち付けられるサンゴ礁を一望することができ、彼の次なる目標を思い出させます。
ここから彼は、サンゴが形成される理由について研究を始めます。
ビーグル号などの艦にとって浅瀬に繁殖するサンゴは、船を傷つけたり海の深さを惑わす天敵です。
環礁(環状に形成されるサンゴ礁)ができるワケを解明することは、ダーウィンだけでなくイギリス海軍の使命でもありました。
タヒチを越えると船は長い航海に突入しました。
何週間も間、乗員たちは変わり映えのない広い海を眺めるしかなく、さすがのダーウィンも退屈していたようです。
「太平洋の広さを理解するなら、この大海原を船で渡る必要がある」と皮肉を言うほどでした。
そうしているうちに、ビーグル号はニュージーランドとオーストラリアに到着しました。
ここでは、カンガルー狩りやカモノハシの捕獲をしました。
カモノハシは哺乳類でありながら卵を産むという珍しい生態をもつ動物です。
卵生であることや乳首がないことなど、他の哺乳類にはない特徴が多くみられます。
現在の分析では、この動物は1億5000年前に他の哺乳類から派生した種とされ、かつては卵生の哺乳類は多く存在したと考えられています。
原始的な特徴を多く残していることから、ダーウィンも“種の起源”の中でカモノハシを「生きた化石」と述べていました。
オーストリアでも発見を続けてきた彼でしたが、次に碇泊したキング・ジョージ湾はあまりお気に召さなかったようです。
「ここまでの航海の中で最もつまらなく、やる気が起きない」とまで言うほどでした。
環礁の謎とダーウィン
退屈に耐えた先に待っていたのは美しいサンゴの世界でした。
スマトラ島の南に1000キロほど進んだ先にキーリング諸島があります。
ここでダーウィンは初めて環礁(アトール)に出会いました。
エメラルドグリーンの海とサンゴから生まれた白い砂浜を目にし、「世界の驚異の中でトップランクに入る」と感想を述べています。
ガラパゴス諸島のような溶岩でできた黒い地面とはうって変わって、白くてまばゆい世界が広がっていたのです。
早速彼は、サンゴ(環礁)についての研究に取り掛かりました。
その頃の定説では、環礁は海底火山が隆起したものだと考えられていました。
もともと海底にあった火口が地面のせり上がりとともに海面に顔を出し、やがては陸地となるという理論です。
なるほど、真ん中の黒い部分(窪み)は火山の火口であるということですね。
しかし実際に環礁を観察したダーウィンは、以下の点についてこの定説に異を唱えました。
・火口しては大きすぎる
・楕円など火口の形と思えない
・海底火山がせり上がるとして、火山の山頂が海面すれすれで止まることは不自然
・そもそも、この海域で隆起の証拠が見当たらない
……
代わりに彼は、地面の隆起説ではなく沈降説を主張しました。
この考えに至った大きな理由は、かつて住民達が住んでいた住居が海に沈んでいることや、古いヤシの木が海水のために根が伸ばせず枯れていることを発見したからです。
ここから先は、サンゴの生物としての側面を解き明かす必要があります。
その昔、サンゴは植物の一種と考えられていましたが、実はイソギンチャクやクラゲの仲間で、刺胞動物(腔腸動物)に含まれます。
触手で海中のプランクトンなどを捉えて食べ、種類によってはクローンを作って個体を増やすものや、産卵によって別の場所に繁殖するものもいます。
そのどれも、海水中のカルシウムイオンを取り込んで炭酸カルシウムを生成し、自らの骨格を作ります。
その結果として、枝のような構造物が出来上がっていくのです。
海水温やサンゴを食べる生物などの外的要因がないと際限なく増え続けるサンゴですが、彼らの巨大化を阻んでいる大きな要因は“波”です。
たえず打ちつける波によって削られる一方、サンゴの成長がわずかに上周り、少しずつ大きくなっていきます。
この現象を考察したダーウィンは、「ある島が、斑岩や石英岩のような硬い岩でできていたとしても、波の力によっていずれは破壊されてしまうだろう。(略)しかし、昼夜問わず働き続ける小さな建築家の積み重ねに、波はどのような影響を及ぼせるというのか」と述べ、生命の力強さや、小さな作用がやがて大きな力になるという進化論的な思想を残しています。
ダーウィンは、このサンゴと波の戦いを、島の沈降と繋げて地質学に研究していくのです。
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