14世紀半ばにヨーロッパを襲い、数千万人の命を奪ったとされる「黒死病(Black Death)」は、人類史上でも最悪級のパンデミックとして知られています。
この未曽有の大流行については、これまで細菌学や歴史学の観点から数多くの研究が行われてきましたが、なぜ「あの時代」「あの場所」で爆発的に広がったのかについては、いまだ決定的な説明が存在していませんでした。
しかし近年、地球規模の火山噴火という、当時の人々には想像もできなかった自然現象が、黒死病拡大の引き金になった可能性が浮上しています。
ドイツとイギリスの研究者による最新の学際的研究は、火山活動、気候変動、農業不作、交易網の変化、そして疫病の拡散が、偶然とは思えない形で連鎖していたことを示しました。
黒死病は単なる感染症の流行ではなく、地球環境の異変と人間社会の脆弱性が原因だった可能性があるのです。
以下に研究の内容をまとめます。
参考記事)
・Black Death’s Carnage Traced to a Volcanic Eruption Half a World Away(2025/12/22)
参考研究)
黒死病とは何だったのか
黒死病は14世紀半ばにユーラシア大陸全体を席巻したペストの大流行であり、世界人口の大きな割合を一気に減少させた歴史的災厄です。
原因はYersinia pestisという細菌で、主にノミを媒介してヒトに感染します。

重症化した場合、感染からわずか1日程度で死に至ることもあり、その致死性の高さが恐怖を増幅させました。
この「第二次ペスト・パンデミック」は、6世紀に発生したユスティニアヌスのペスト以降、再びヨーロッパを襲ったものとされています。
しかし、この細菌がヨーロッパ内部に長期間潜伏していたのか、それとも外部から再び持ち込まれたのかについては、長年にわたり議論が続いてきました。
今回の研究を主導したのは、ドイツのライプニッツ東欧歴史文化研究所の歴史学者Martin Bauch氏と、イギリスのケンブリッジ大学の古生物学者 Ulf Büntgen氏です。
両者は、歴史文献だけでなく、氷床コア、年輪データ、気候復元データといった自然科学の証拠を統合し、黒死病拡大の背後にあった「環境要因」を立体的に再構築しました。
南極・グリーンランドの氷が語る巨大噴火の痕跡

研究の中核となった証拠の一つが、南極およびグリーンランドから採取された氷床コアです。
氷床コアは、降雪時の大気成分をそのまま閉じ込めており、過去の火山噴火や気候変動を極めて高精度で記録しています。
解析の結果、西暦1345年頃に堆積した氷の層から、異常に高濃度の硫黄成分が検出されました。
このような硫黄の急増は、大規模な火山噴火が起きた際にほぼ必ず見られる特徴です。
さらに、1329年、1336年、1341年にも小規模な硫黄増加が確認されましたが、1345年のスパイクは過去2000年間で18番目に大きい規模であり、突出した異常値でした。
ヨーロッパ全域で確認された「異常に寒い夏」
次に研究チームは、ヨーロッパ8地域の樹木年輪データを詳細に分析しました。
樹木は毎年成長輪を形成しますが、その密度や構造は、成長期の気温や降水量に大きく左右されます。
その結果、1345年から1347年にかけて、ヨーロッパ各地で異例の寒冷な夏が連続して発生していたことが明らかになりました。
特に地中海周辺では、この寒冷化のシグナルが顕著であり、通常の気候変動では説明しにくい規模でした。
大規模火山噴火によって成層圏に放出された硫黄ガスは、硫酸エアロゾルとなって太陽光を反射し、数年間にわたり地球全体を冷却します。
この短期的な寒冷化でも、農業には致命的な影響を及ぼします。
飢饉と交易網の再編という「社会的連鎖」
気候の急変により、作物の生育が阻害され、収穫量は激減しました。
スペイン、南フランス、イタリア北部および中部、さらにはエジプトやレヴァント地方に至るまで、広範囲で飢饉が発生し、穀物価格は急騰しました。
この危機的状況の中で、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサといったイタリアの海洋都市国家は、従来とは異なる穀物供給ルートを模索せざるを得なくなりました。
その結果、黒海北岸からアゾフ海周辺を支配していたモンゴル系国家「キプチャク・ハン国(Golden Horde)」との交易が再開され、1347年にはヴェネツィアが貿易禁止令を解除します。
穀物とともに運ばれたペスト菌

研究者たちは、この穀物輸送こそが、Yersinia pestis をヨーロッパにもたらした決定的経路だった可能性が高いと指摘しています。
過去の研究から、ペスト菌を保有したノミは、長期間の海上輸送にも耐え得ることが分かっています。
実際、最初の大規模流行が確認されたのは、メッシーナ、ジェノヴァ、パルマ、ヴェネツィア、ピサといった穀物を受け入れた港湾都市でした。
穀物が内陸部へ流通するのと同時に、感染もまた拡大していきました。
この現象はヨーロッパに限らず、エジプトのアレクサンドリアにも同様のルートでペストが到達した可能性が示唆されています。
学際研究が示した「因果の連鎖」
Bauch氏とBüntgen氏は論文の中で、次のように述べています。
1345年頃に発生した未特定の大規模火山噴火、もしくは複数の噴火が、1345年から1347年にかけて南ヨーロッパを中心とする寒冷で湿潤な気候を引き起こした。
この異常気象とそれに続く広域的飢饉が、イタリアの海洋国家に穀物供給網の再編を迫り、その結果としてペスト菌が地中海全域へ拡散した。
黒死病は、自然災害・気候変動・経済活動・感染症が連鎖的に結びついた結果だった可能性が高いのです。
不確実性と研究の限界について
なお、噴火を起こした火山そのものは特定されていません。
研究者たちは、熱帯地域の火山であった可能性が高いと推測していますが、現時点では断定できません。
また、火山噴火が唯一の原因だったと断言することもできません。
社会構造、都市の衛生環境、人口密度など、他の要因も重なった結果である可能性は残されています。
まとめ
・1345年頃の大規模火山噴火が、寒冷化と飢饉を引き起こした可能性が高い
・飢饉による交易網の変化が、ペスト菌を地中海世界へ拡散させた
・黒死病は自然環境と人間社会の相互作用が生んだ歴史的災厄だったと考えられる


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