【前回記事】
サンゴ研究家ダーウィン
ダーウィンによるサンゴの研究はまだ続きました。
彼はサンゴ礁を“裾礁(フリンジングリーフ)、堡礁(バリアリーフ)、環礁(アトール)”という三つの状態に分類しました。
裾礁(きょしょう)は、海が陸地と接する場所にサンゴが形成されている状態で、これが環礁の始まりとなります。
次に、堡礁(ほしょう)は、陸が沈下していき、サンゴ礁の間に窪みができている状態です。
小さな島の場合、珊瑚礁に取り囲まれた中から島が顔を出しているようにも見えます。
この二つの過程を経て出来上がるのが環礁です。
環礁はドーナツ型の地形で、サンゴ礁の内側は陸地が沈下しているため、窪み(ラグーン)となっています。
サンゴは光合成を行う生物から栄養をもらって成長するため、光の届かない30m以下の個体は死んでしまいます。
死んだ個体は上のサンゴを支える役目を持ち、何年もその役目を果たし続けるのです。
ダーウィンの説では、サンゴ礁の下には基盤となる岩の層が存在するはずです。
浅いところでそのような状態が確認できるものの、深いところでははるか先までサンゴが積み重なっており、岩の層を確認できません。
帰国後、ダーウィンがロンドン王立学会に働きかけたことによって、フィジー島にてボーリング調査が行われました。
400mもの深さを調査しましたが、全てサンゴの層という結果に終わり、この説の立証には至りませんでした。
彼は、「いつか、大金持ちがこの課題に取り組んでくれたら……」と残しています。
それからしばらく経ち、1952年に行われたビキニ島とエニウェトク島における核実験の際、サンゴ礁を掘り進んだ先1400m地点で玄武岩の層を発見しました。
この時回収したサンゴの化石や有孔中の化石から、サンゴはなんと5千万年前のものであることが分かりました。
ダーウィンの説が正しいことが証明されたと同時に、サンゴという生物の脅威的な歴史の持ち主であることも判明したのです。
もし、ダーウィンが進化論を発表していなかったら、サンゴ礁の理論を考案した人物として名を残していたとまで言われています。
プレートテクトニクス理論
プレートテクトニクスとは、地球を覆う岩盤(プレート)が運動することで、その境界部に様々な変動が生じ、地震や火山など様々な地学現象が起こることです。
ダーウィンの時代には、そういった考えはおろか大陸が移動することさえも認めらていませんでした。
彼が世界地図で色分けしたサンゴ礁の分布を見ると、世界的に隆起しているエリアと沈降しているエリアがあることが分かるようになってきました。
その洞察はサンゴ礁のみならず地質学にまで及び、「地球の外側は液体の表面を覆っている殻のようなもので、それが隆起したり沈降したりしながらたえず動き続けている」と述べています。
この考え方であれば、火山の噴火や大地震、大きな山脈のでき方や沈降によって生じるサンゴ礁なども全て説明ができます。
彼の理論は、それまでバラバラだった地質の変化の謎をスッキリ説明できるものでもあったのです。
この考えに自信があったのか、彼が帰国後に記したノートには「全世界の地質学はシンプルだ」とメモされています。
キーリング諸島の滞在はわずか十二日ほどでしたが、彼の優れた観察眼によってサンゴ礁や地質学の分野に大きな進展を迎えることになるのです。
ビーグル号の帰路
白く眩いサンゴの世界を離れたビーグル号はその後、アフリカ南端の希望峰に位置するケープタウンに訪れました。
ケープタウンでは、当時そこに住んでいた天文学者のジョン・ハーシェルの元を訪れ、自然史哲学についての知見を共有しました。
ハーシェルは、天王星を発見したウィリアム・ハーシェルの息子で、彼自身も父の後を継いで天文学の道を志します。
彼はケープタウンで南天の観測を行い、後にあらゆる天体を目録化するという、未だかつて誰も成し得なかった偉業を達成したことで有名です。
さらに彼は1830年に『自然史哲学研究に関する予備的考察』を出版し、「熱はエネルギーの移動によって、音は空気の振動によって、動きは物体に力が加えられることによって変化する」といったように、この世のあらゆる事象には原因があると主張していました。
生物の発生も突き詰めていくと何らかの原因があると考えており、神の創造論とは別の道を模索していました。
しかし、「体のつくりや器官の働きは物理や化学の法則で解明できる可能性があるが、生物そのものの、生物そのものの根源を探るのは自然哲学者の仕事ではない」として、生命誕生の迷宮の中にいました。
ダーウィンは、こういったハーシェルの考え方に触れ、『種の起源』にて偉大な哲学者と讃えています。
また、その後に立ち寄ったセントヘレナ島では、溶岩によって形成された天然の城壁(崖)や美しい自然に触れ、ナポレオンの墓所にも訪れたことが記録されています。
ここまででビーグル号の世界一周の任務は完了を迎え、本格的な測量を始めたバイア(バイヤ)に再び戻り、イギリスへの帰路につくのでした。
コメント