心理学歴史

【歴史を変えた心理学⑩】クルト・レヴィンと心理学の場

心理学

【前回記事】

 

この記事では著書“図鑑心理学”を参考に、歴史に影響を与えた心理学についてまとめていきます。

 

心理学が生まれる以前、心や精神とはどのようなものだったのかに始まり、近代の心理学までをテーマとして、本書から勉強になった内容を取り上げていきます。

  

今回のテーマは「クルト・レヴィンと心理学の場」についてです。

    

    

  

クルト・レヴィンの生い立ち

クルト・レヴィン(1890~1947)

 

クルト・レヴィンは、ドイツ生まれのアメリカ人心理学者で、社会心理学、応用心理学、組織心理学の分野に多大な貢献をした人物です。

 

1890年9月9日、ドイツのモギルノ(現在はポーランドの一部)にて生まれ、両親は中流階級のユダヤ人でした。

 

彼には一人の姉と二人の弟がおり、幸せな幼少期を過ごしていました。

 

1905年、クルトが15歳のとき、家族は子どもより良い教育を求めてベルリンに引っ越しました。

 

ベルリンの名門高校に入学した彼は、当初こそ目立った活躍はないものの、勉学の中でギリシャ哲学に目覚め、人生を通して哲学への情熱を維持することになります。

 

高校卒業後は、医学を学ぶためにフライブルク大学に入学。

 

しかし、解剖学が合わなかったため、わずか一学期を過ぎた頃にはミュンヘン大学に転校し生物学を学び始めます。

 

しかし、ミュンヘン大学でさえもわずか一学期を終えた後、彼は再び大学を移籍。

 

今度はベルリン大学に転校し、哲学コースを受講、科学哲学に触れる中で心理学に傾倒し始めます。

 

レヴィンはここで、当時新しい分野だったゲシュタルト心理学に惹かれていきます。

 

ゲシュタルト心理学は、「人は、もの事を一部ではなく全体で捉える」という考えのもとで生み出された心理学の分野です。

 

例えば、車や自転車で走行している際、家や歩道を一つ一つ認識するのではなく、全体のまとまりと認識して運転しているはずです。

 

また、ひとつ文字を注視し続けていたり、同じ文字を書き続けていると、「こんな字だったっけ?」と、全体性が失われてしまう現象(ゲシュタルト崩壊)も、ゲシュタルト心理学の分野にあたります。

 

後に、マックス・ヴェルトハイマーヴォルフガング・ケーラー、そしてクルト・レヴィンらによって理論が確立されていきます。

 

マックス・ヴェルトハイマー(1880~1943年)

 

1914年、博士号の要件である学術論文を仕上げたレヴィンは、ドイツ軍として第一次世界大戦に従軍します。

 

戦闘による負傷しながらもジャーナル記事を出版し、1918年には鉄十字勲章を得て陸軍を引退しました。

 

その後、レヴィンはベルリン大学の心理学研究所に戻り、1921年に講師として教壇に立ちます。

 

そこでの彼は新しいアイデアを生み出すことに積極的で、学生の理論に積極的に関わりにいき、議論を活発に行ったそうです。

 

心理学研究所ではヴェルトハイマーやケーラーの影響のもとでゲシュタルト心理学を追求し、特に心理学の実用化に重きを置いていました。

 

これは後に彼が提唱する“心理学の場理論”につながっていきます。

 

レヴィンは、学習、行動、モチベーションに関する印象的な一連の研究を行いました。

 

ともにベルリンで学んだアメリカ人学生が彼の理論についての論文をまとめたことをきっかけに、米国でも注目が集まり、1929年ごろにはイェール大学やスタンフォード大学に招かれて講演を行なっています。

 

1933年になるとアドルフ・ヒトラー率いるナチ党がドイツ政権を掌握します。 

 

Sudetendeutschland: Eger empfängt den Führer.

 

レヴィンはユダヤ人迫害が迫っていることを認識すると、ベルリン大学を辞任して家族とアメリカに移住することになりました。

 

アメリカではコーネル大学やアイオワ大学での講師を経て、アイオワ大学の研究機関である児童福祉研究ステーションで、児童心理学の教授として働きます。

 

ここ彼は子どもの発達について研究し、発達に対する教育分野で研究者を訓練していました。

 

英語があまり流暢ではないにもかかわらず、その人柄や熱心さから学生に好かれていたと言われています。

 

間もなく第二次世界大戦が始まると、彼はアメリカ政府のコンサルタントを務め、心理戦をテーマとした戦略分析を担当しました。

 

戦後になると、“集団に対する個人の影響”を調べるためアイオワを離れ、自らの研究機関の設立に尽力しました。

 

1945年にはマサチューセッツ工科大学の支援を受け、グループダイナミクス研究センターを設立。

 

彼が亡くなる1947年まで、自らの研究プログラムに取り組み続けました。

 

 

心理学の場理論

 

心理学の場理論は、レヴィンがゲシュタルト原理、物理学、数学を取り入れて提唱した理論です。

 

彼によると、「人間の行動は、個人の自己認識と環境に対する認識の間の相互作用の結果である」としています。

 

20世紀初頭の心理学研究は、行動主義精神分析が主流を占めていました。

 

行動主義者は、精神状態に及ぼす刺激の影響を調べることに関心を寄せました。

  

精神状態が不安定な人は、何らかの刺激を受けた結果やその人を取り巻く環境が原因であると考えられていたためです。

 

一方、精神分析家は、無意識からくる精神的な影響に焦点を当てました。

 

根本的な原因が、目に見えないものや知らないうちに影響を与える事柄によるものだと考えていたからです。

 

当時、ベルリンで研究活動を行っていたレヴィンは、これらの分析に対して何かが足りないと考えていました。

 

それは“他者”の存在です。

 

レヴィンは、原因を個別に分解して考えるのではなく、彼らを取り巻く環境のあらゆる要素が、心理学的要因となって個人に影響すると考えました。

 

また、物理学の“場(物理現象が何らかの作用を生じさせる空間)”という概念から着想を得て、「心理学の場」として発表しました。

 

彼の理論によると、は、個人や集団の目標達成を促進するプラスの力と、それを阻害するマイナスの力とが合わさったものとし、「B=f (P・E)」という関数で表しています。

  

B=f (P・E)にはそれぞれ、以下の意味があります。

 

【B=f (P・E)の要素】

B=Behavior(行動)
  

f=Function(関数)
  

P=Personality(個性、人格、性格、人間性など)
  

E=Envirornment(状況、環境、人間関係など)

  

つまり、行動(B)は、その人の個性(P)環境(E)の相互作用によって決まるということです。

 

レヴィンは、「物事が上手く進まないときは、場(環境)を変えると良い」ということを述べています。

 

 

変革の三段階

個人の行動を変えようと考えると、職場や関わる人など自分を取り巻く環境を変えると良いことは分かりました。

 

しかし、環境を変えたからと言って理想通りに行動できるようになるかはまた別の話です。

 

レヴィンは、「現状が変わるまでには、解凍・変革・凍結という三つの段階が存在する」と述べています。

 

第一の段階である「解凍」は、古いシステムや人間関係、信念を変える準備に入ることです。

 

第二の段階である「変革」は、古い心理学的場に対する親近感を断ち、物事を進めるための新しい方法に置き換える、という苦しい時間を過ごすことになります。

 

最後の段階である「凍結」は、物事を進める新しい方法が安定して行われるようになります。

  

これらの段階を経て、やっと行動が習慣化へとつながっていくのです。

 

変化にはストレスがつきものです。

 

最初こそ新しい環境の目新しさ故に、行動が変わったような気がするでしょうが、それは一時的なものでしかなく、結局は元の環境と同じ悩みが再発する……、なんて話は聞き飽きるほど耳にします。

 

変革の苦しい時期を経てこそ、新しい環境での良い習慣が身につくということも忘れてはいけないことです。

 

 

まとめ

・レヴィンは、個人と環境の関係を研究し「心理学の場理論」を提唱した

・この“場”はB=f (P・E)という式で表され、B=行動、f=関数、P=人格、E=環境とを意味している

・レヴィンは、「物事が上手く進まないときは、場(環境)を変えると良い」と述べている

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