哲学

【韓非子㉗】大義の裏はただのわがままかもしれない

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【前回記事】

 

この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書韓非子についてまとめていきます。

      

韓非自身も彼の書も、法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。

        

そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。

      

【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。

      

今回のテーマは“此(こ)れ名に義ありて実に利あり”です。

     

                     

          

此れ名に義ありて実に利あり

【本文】

蔡(さい)の女、桓公(かんこう)の妻たり。

  

桓公之と舟に乗る。

  

か夫人舟を蕩(うご)かす。

  

桓公大いに懼(おそ)れ、之を禁ずれども止めず。

  

怒りて之(これ)を出だす。

  

乃(すなわ)ち且(まさ)に復(ま)た更めて之を嫁(か)せしむ。

 

桓公大いに怒り、将(まさ)に蔡を伐(う)たんとす。

  

仲父(ちゅうほ)諌(いさ)めて曰わく、夫(そ)のれ寝席の戯れを以ては、以て人の国を伐つに足らず、功業(こうぎょう)冀(こうねが)う可(べ)からずなり、請(こ)う此(これ)を以て稽(けい)と為すこと無かれ、と。

  

桓公聴かず。

  

仲父曰わく、必ず已(や)むを得ずば、楚の菁茅(せいぼう)、天子の為に楚を伐つ、而(しか)るに蔡兵を以て聴従(ちょうじゅう)せず、遂に之を滅ぼさん、と。

  

此れ名に義ありて実に利あり、と。

  

故に必ず天子の為に誅すえうの名有りて、而(しこう)して讎(あだ)を報ゆるの実有り。

  

【解釈】

蔡の公女が桓公(斉の君主)の夫人になった。

  

桓公が夫人と舟遊びをしていたところ、夫人が舟を揺らしはじめた。

  

桓公はそれを大いに恐れ、(舟を揺らすのをやめるよう)夫人に注意したが、夫人はそれをやめなかった。

  

桓公は腹を立て、夫人を蔡に返した。

  

すぐに夫人を呼び戻すつもりだったが、ほとぼりが冷める間に夫人は他へ嫁入りしてしまった。

  

桓公は大いに怒り、蔡を討とうしたが、管仲がそれを諌めた。

  

「夫婦間のからかい合いというだけで他国を討つわけにはいきません。

  

それでは大きな功を残すことはできません」

  

と管仲が申し出ても、桓公は止めようとはしなかった。

 

そこで管仲はこう提案した。

  

「ではこうしましょう。

  

楚の菁茅(せいぼう)が天子に献ぜられず三年が経ちます。

  

我々は兵を挙げ、天子のために、この不届な楚を討つということにすると。

  

そして楚を伐した後すぐ引き返し、蔡を襲うのです。

  

我々は天子のために兵を出したが、蔡はそれに協力しなかった。

  

それ故、ことのついでに滅ぼしてくれる。

 

と宣言しましょう。

  

こうすれば大義に叶い、実利を得ることもできます」

  

こういったわけで、斉の桓公は不義を誅するという名目のもとで戦争をしたが、その実は自分の憎い奴に復讐しただけのことである。

  

  

大義の裏はただのわがままかもしれない

桓公の私怨が国を挙げての合戦になった例ですね。

  

しょうもない理由で兵を挙げてしまうと、民の心は離れてしまうため、もっともらしい大義を掲げたということですね。

  

大義の裏にはしょうもない本音が隠れているのかもしれません。

  

逆に考えると、どんなしょうもない本音でも建前を整えることによっては義となるということですね。

  

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