数ある戦いの歴史の中でも人気の高いスパルタ達の戦い。
今回はそんなスパルタとアテネについてです。
スパルタとアテネ
スパルタは、ギリシャ南部の険しい山中にある小都市で、古代の軍隊の中で最も恐れられる存在でした。
スパルタの兵士は“スパルタ”の文字が意味する通り、生まれたときから文字通り血を吐くような訓練で鍛え上げられ、戦闘で負けることは皆無であったとされています。
この軍隊を作るため、スパルタの長老たちは生まれたばかりの子供を検査します。
未熟児ではないか、肌の色は健康か、泣き声はどうか…。
選別から溢れた子供は、放置されたり谷に落とされ殺される運命にあります。
検査に合格した子供には、過酷な運命が待ち受けています。
7歳になると、親元を離れ30歳まで兵舎で過ごすことになります。
妻を囲むのも30を過ぎてから、それまでは訓練に明ける暮れる毎日です。
兵舎の生活の中で培う男の絆(意味深)も強く、いざ戦場で仲間が殺されようものなら、自らの命を持って相手に報復するほどの気概を持っていたそうです。
一方アテネは、哲学、美術、文学など各分野で人類史上極めて優れた成果を残しました。
アテネ黄金時代にあたる紀元前5世紀頃には、劇作や哲学などの分野で著しい発展がみられました。
劇作家ではアイキュロス、アリストファネス、エウリピデス、ソフォクレスが、哲学ではアリストテレス、プラトン、ソクラテスらが活躍していた時代でした。
スパルタとアテネは、ペルシャによる侵攻に対し協力することもありましたが、古代ギリシャの覇権を巡って争っていました。
この抗争は、マケドニア王フィリッポス(アレクサンドロス大王の父)が北から攻めてきたことで突然終わりを告げることになりました。
ギリシャの都市国家は、フィリッポスとその息子のアレクサンドロス大王が築く大帝国に飲み込まれていくことになったのです。
豆知識
スパルタの普段の鍛錬があまりにも厳しすぎるため、戦争で鍛錬が中止になることにホッとする戦士達も多かったそうです。
部活の厳しい学校が、練習試合や試合などになるとホッとする状況に似ていますね!
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