【前回記事】
この記事は、書籍「世界はラテン語でできている」を読んで興味深かった内容について抜粋して紹介する記事です。
この本は、古代ローマから用いられてきた言語が現代にどのように残っているのかについて書かれています。
政治、宗教、科学だけでなく、美術やゲームなど幅いジャンルに浸透している言葉について知ることで、世の中の解像度が上がって世界が少し楽しくなるかもしれません。
今回のテーマは、“パッションフルーツの語源”についてです。
パッションフルーツは「情熱の果物」ではない
〜引用&要約〜
“passion(パッション)”と聞くとパッションフルーツを思い浮かべる方が多いかと思います。
英語でpassionは情熱という訳ができ、パッションフルーツも翻訳辞書などでは「情熱果実」と訳されることがあるようですが、本来の意味は全く別のところにあります。
そもそもpassion という英語の元はラテン語のpassioという名詞で、passioはpatior「こうむる、受ける」という動詞の派生語です。
patiorの派生語には“patientia(忍耐)”という言葉もあり、これは英語の“patience(忍耐)”や“patient(患者)”の語源 となっています。
さらに言えば英語で「受動の」という意味を表す“passive”や、「同情心」を指す“compassion”の語源もこのpatiorです。
パッションフルーツの“passion(パッション)”は元の動詞「こうむる、受ける」の意味に近く、本来は「(キリスト)の受難」を指しています。
Memling, Hans (1425/40-1494): The Passion. Turin, Galleria Sabauda*** Permission for usage must be provided in writing from Scala. ***
なぜパッションフルーツが「キリストの受難」を語源にするのかというと、フルーツの花の各部がキリストの磔刑(たっけい)を連想させるからです。
多くの日本人にとってはキリスト数はなじみが薄いため感覚的に理解しづらい発想ですが、めしべの柱頭は釘、5本のおしべは傷、副花冠は茨の冠、花被はキリストの使徒たちということだそうです。
そこから、まずこういった花をもつ種類の植物(トケイソウ)が“passion flower(パッションフラワー)”と呼ばれるようになります。
次にパッションフルーツが現れるわけですが、これはラテン語で“Passiflora edulis(食べられる受難の花)”と名付けられ、和名でもクダモノトケイソウと呼ばれています。
というわけで、パッションフルーツのパッションが情熱という意味ではなく、キリスト教と関係した名前だということが分かりました。
では、「情熱」という意味のパッションは、patiorとどのように関係しているのでしょう?
これは、魂が何かしらの作用を受けた結果、激情や情熱が生まれると考えられたからです。
たとえば英語の“affect(情緒、情動)”も、動詞のaffect「影響する、作用する」から生まれた意味です。
ちなみにpassionの元になったラテン語passioは、古典ギリシャ語 páthosの訳語としても使われました。
また、この“páthos(受難、不幸な事件、外部から受けた作用)”も、「こうむる、受ける」という意味の動詞 páskhōの派生語であったりと、passionに関係する言葉の根底には「受ける」や「忍耐」といった意味が見え隠れするのです。
〜引用&要約ここまで〜
パッションフルーツには宗教的な意味合が含まれていたのですね。
自分が子どもの頃に見たお笑い芸人にパッション屋良という人がいましたが、彼も自らの胸を殴りつけ“痛みを被る”ことで笑いをとっていました。
巷の小学校では、彼の敬虔な行いに畏敬の念を示した子どもたちが真似をし始めました。
しかしこの胸に手を強く叩きつける行為が危険であるとされ、間も無く“パッション禁止令”が出されたとのこと……。
ちなみにそのギャグの正式名称は「やらやらバンバン」だそうです。
……これは禁止令やむなしですね。
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