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エジソンに挑んだ男~ニコラ・テスラ②~

歴史

の続き…。

~前回までのあらすじ~

幻覚に悩まされていた幼きニコラ・テスラは、何とか頑張って大学に入るも奨学金が打ち切られ中退。

  

働き口を探していた彼はある時、最新技術の結晶である電話が隣国ハンガリーにくるとの情報を手に入れる。

  

生活のため、そして何より自身の研究のため、意気揚々とハンガリーの電信局に向かうのである…。

 

  

二層交流モーターの発明

テスラ
テスラ

勘違いでした。

電信局についたテスラは落胆します。

  

何と電話が来る(電話局ができる)のは、5年ほど先であるというのです。

  

彼の早とちりでした。

  

仕方なく現地の電信局で働くことを決めます。

  

しかしただでは起きないニコラ・テスラ。

  

電話局ができる5年の間に独自に交流電流の研究を進め、接点のないモーターである“二相交流モーター”の実用化を考案していました。

 

これがどれだけ凄い事かというと、当時の電気科学者たちの間では“永久機関が実用化される”と言われるほど原理の解明が難しく、多くの科学者がチャレンジしては散っていった分野でした。

  

原理やイメージを知りたい方はコチラ↓(とてもイメージしやすい動画です。)

  

  

エジソン社へ入社

テスラ
テスラ

これで交流モーターの実用化に専念できる…。

その後、電信局での仕事ぶりが認められたこともあり、テスラは見事エジソンの会社であるゼネラル・エレクトリック社のヨーロッパ支部への入社に成功します。

   

彼の目的は最新の電気技術を研究することと、そして自身のアイデアである交流モーターの実用化を果たすことでした。

  

しかし世界はそう甘くありませんでした。

  

エジソンが発明した電気の仕組みの多くは“直流電流”。

それに対し、テスラが考案している仕組みは“交流電流”。

  

仕事の合間に試作の交流モーターを作り上げ支部の上司に報告するも、方向性の違いから全く取り合ってくれなかったのです。

  

  

テスラ
テスラ

こうなったら直談判。

交流モーターを見るどころか意見を聞く耳すらもってもらえない上司に不満を覚え、ヨーロッパからアメリカ本社まで渡米を決意。

  

1884年、持前の知識と経験からニューヨーク本社への入社が決定します。

  

エジソンの下で働くチャンスを得たのです。

  

半ばヘッドハンティングのようなものであったが、テスラにとっては好都合。

  

彼は発明王と呼ばれるエジソンに、自分の交流電気のアイデアをぶつけていくのでした。

  

  

続く…。

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