歴史芸術

【ウェッジウッドの歴史④】ポートランドの壺

歴史

 【前回記事】

 

 

ポートランドの壺

フロッグサービスにジャスパーウェアと次々と傑作を生み出していったウェッジウッド。

 

これに加え、ウェッジウッドの創成について語る上では欠かせない出来事があります。

 

それはジャスパーウェアによるアンフォラの作成です。

 

アンフォラは、古代ギリシャ・ローマでよく使用されていた壺で、穀物やワイン、オリーブオイルなどの貯蔵や運搬に使われていたものです。

 

アンフォラ

  

1786年、「ホメロスの壺」をモデルに製作された壺は、新古典主義を得意とするウェッジウッドの技術力の高さを証明する逸品です。

 

この壺の完成を見たジョサイアは、「ポートランドの壺」という古代ローマ時代に作成されたガラス質の作品を、ジャスパーウェアによって再現しようと試みます。

 

「ポートランドの壺」(西暦25年頃 古代ローマ)

 

壺の所持者であるポートランド公爵が所持していたことからこの名前が付けられています。

 

ジョサイアは公爵夫人から 一年の間壺を借りることを許され、有名な彫刻家を雇って作業に取り掛かります。

 

2年後には数点のコピー品が作成されましたが、どちらもジョサイアが納得するものではありませんでした

 

壺に近い色の顔料の開発や、焼成に合わせた調合、焼き上げたあとの収縮率なども鑑みて、レリーフも慎重に施さなければならず、古代の壺の再現は、彼の想像を遥かに超える困難の連続でした。

 

特に苦労したのは、ガラス質の質感をどう表現するかでした。

 

ジョサイヤは研究に打ち込むあまり、1788頃に体調を崩しドクターストップがかかりました、「壺を完成させるまでは休むことはできない」と医者の提言をはねのけていました。

 

 そこからさらに研究を続けること2年。

 

ついにジャスパーによる「ポートランドの壺」が完成させます。

 

ジャスパーウェアによって作製された「ポートランドの壺」

 

完成するや否や貴族たちからは50点ものの購入予約が入り、ウェッジウッド社の技術力は他に類を見ないほどまで洗練されていました。

 

この壺はウェッジウッドの製品の品質を保証するシンボとされ、現在でもバックスタンプにはこのポートランドの壺が描かれたロゴが使用されています。

 

 

奴隷解放運動

ポートランドのを完成させた頃、ジョサイアは既に60歳になっており、その頃から徐々に事業を息子のジョサイア二世に引き継いでいきます。

 

事業から離れて時間にも余裕ができた彼は、エラズマス・ダーウィンとともに慈善団体への援助を行います。

 

 ポーランド難民への寄付金やアメリカ独立戦争と奴隷解放への援助は誰もが知るところとなり、そう言った点からも評価が高い人物でもあります。

 

奴隷解放運動に際しては、ジャスパー製のメダリオンを作成して配って回りながら啓蒙したりと、自らが生み出した技術を国や人のために使うことをためらいませんでした。

 

この反奴隷制の精神は、ジョサイアとエラズマス双方の孫息子であるチャールズ・ダーウィンにも受け継がれます。

 

ビーグル号での旅路で艦長のフィッツロイと言い争いになったのも、こういった奴隷制について話しているときでした。

 

また、サルから類人猿、類人猿からヒトのように、人間が人種毎に創り出されたのではなく、「共通する“種の起源”があった」という考えに至ったのも、差別的な思想がなかったからだと言って良いでしょう。

 

さて、そんな引退後もリベラルな活動を行っていたジョサイアにも最後の時が訪れます。

 

1795年1月3日、健康が優れず病床にあった彼は、家族に見守られながらその努力と栄光に満ちた障害に幕を下ろしたのです。

 

 

ジョサイア2世とボーンチャイナ

ジョサイア・ウェッジウッド2世(1769~1843年)

 

ジョサイア亡きあとの事業を継いだのは長男ジョンではなく、次男のジョサイア2世でした。

 

以前にも話題に挙げましたが、ジョサイア2世はダーウィンの叔父に当たり、ビーグル号乗船の後押しをした人物です。

 

彼の時代においてもウェッジウッドの技術は飛躍的な進歩を遂げました。

 

特筆すべきはボーンチャイナの実用化です。

 

ウェッジウッド ボーンチャイナ製のカップ

 

ボーンチャイナは、牛の骨灰を材料にして磁器を作り上げる製法で、元々は同国イギリスのボウ窯という陶器工場が開発したとされる技術です。

 

牛の骨を的確な量で材料に混ぜ、適切な温度管理のもとで焼成すると、白くて透き通った焼き物を作ることができます。

 

しかも、薄く焼き上げることができるため様々な造形を再現することが可能になりました。

 

歴史的には、「土器▶陶器▶炻器▶磁器」のように焼き物が進化しており、ヨーロッパ大陸のマイセンやKPMベルリンでは“磁器”が生産されていました。

 

一方、同じ時期においてイギリスは、磁器に必須の材料である“カオリン”が入手できなかったり、製造方法が未解明だったりと生産体制が整っていませんでした。

 

硬質磁器の原料であるカオリン

 

代わりに、炻器または陶器にコーティングをした焼き物の生産に力を入れていたことで、ジャスパーなどの独自の焼き物が生まれたとも言えます。

  

そんな中、ボーンチャイナというイギリス独自の製法を確立したことで、大陸の各窯に引けを取らない程の焼き物を生産することが可能になりました。

 

正確に言うと、カオリンを使って高温で焼き上げたものが“硬質陶器”。

 

ボーンチャイナのようなカオリン以外で焼き上げたものを“軟質磁器”と呼んで区別していますが、光の透過性や弾いたときの音、吸水性が無いことなどほとんどの特徴が同じです。

 

ともあれ、ジョサイア2世が実用化したボーンチャイナの技術は、現在でもウェッジウッドのほとんどの製品で使われています。

 

ウェッジウッドの製品の裏には、ポートランドの壺のスタンプと一緒に“BONE CHINA(ボーンチャイナ)”が見られることが多いので、手に取った際は是非確認してみてください。

 

ウェッジウッド製の製品のバックスタンプ

 

 

番外編

 

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