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【チャールズ・ダーウィンの歴史⑥】地質学と生物学の共通点

歴史

【前回記事】

 

 

シャーガス病に苦しむダーウィン

マゼラン海峡を通過し、南アメリカ大陸西岸を北上していくビーグル号。

 

 

この頃ダーウィンは、一ヶ月に渡る謎の体調不良に襲われます。

 

この理由は定かではありませんが、サシガメ(吸血性のカメムシ)がお腹を含まらせるほど血を吸っていることについて記録してることから、シャーガス病にかかったのではないかとされています。

 

シャーガス病は、サシガメなどが動物を吸血すると同時に糞をし、糞に潜むクルーズトリパノソーマ原虫が傷口などから感染することで発症します。

 

現代でも熱帯病として知られており、年間600万人以上の感染者を出している病気です。

 

ダーウィンがこれらしい病気に感染してから帰国後も、激しい動悸や頭痛、めまいや倦怠感に悩まされることになります。

 

 

オソルノ火山の噴火

1835年1月、マゼラン海峡を超えてしばらく進むと、ビーグル号はチロエ島に到着しました。

 

 

このとき彼らは、激しい轟音とともに自然の大災害を目の当たりにします。

 

チリ本土にあるオソルノ火山が噴火したのです。

 

オソルノ火山(Jorge Morales Piderit氏 撮影)

 

暗闇の中、溶岩が流れる様を望遠鏡で眺め、黒く沸騰する海をつぶさに観察しました。

 

後に、そこから700キロ、そして5000キロも離れたほとんど火山活動が見られなかった火山も同時に噴火していたことが分かり、ダーウィンはこれを偶然の一致とは思えませんでした。

 

 

巨大地震が気づかせたもの

自然の脅威は火山噴火だけにとどまりませんでした。

 

オソルノ火山から一ヶ月後の1835年2月20日には、マグニチュード8.5と推定される巨大地震がチリを襲います。

 

地震発生から2週間の後にビーグル号はコンセプションに到着しました。

 

 

そこで彼らが目の当たりにしたのは、津波によって破壊し尽くされた街でした。

 

人の営みが一瞬にして崩壊した様を見たダーウィンは、「人間の頼りなさを痛感する。計り知れない時間と労力が、わずか数分のうちに消滅した様を見るのはなんとも辛いものである。」と記録しています。

 

こういった惨状の中でも彼は観察を止めはしませんでした。

 

津波の後には、本来海の底深くにいる生物が打ち上げられていたり、地面が動いた後があったからです。

 

フィッツロイの観察では、満潮時から3メートルも上にある岩に、固着した貝を確認しました。

 

これは、地震によって地面が隆起した証拠でもありました。

 

アンデス山脈には標高4000メートルの地点にも貝類の化石があることが知られていました。

 

ダーウィンも高山病に陥りながらも山脈にアタックし、「そびえ立つ山々は、海だった場所が大地のぶつかり合いによって徐々に盛り上がったのだ」と考えました。

 

そう考えたのは、フィッツロイの発見だけでなく旅に持ってきた愛読書の一冊「地質学原理(Principles of Geology」の主張に沿うものだったからです。

 

地質学原理の扉絵

 

地質学原理」はスコットランド出身の地質学者チャールズ・ライエルが表したもので、彼は同じく地質学者のジェームズ・ハットン主張した“地質の現象は過去も現在も同じ自然法則に則っている(斉一説)”といった内容を支持した内容が記されています。

 

チャールズ・ライエル(1797~1875年)

 

当時の地質学は、大洪水や巨大な噴火などによって一気に山や海ができあがったという「天変地異説」が主流でした。

 

この考えに対してハットンは、自然はゆっくりと変化していくと主張し、両主張の間で激しい論争が繰り広げられていました。

 

ライエルはこのハットンの考え方と自らの研究によって、地質学の定義や無生物界の変化、生物界の変化などを発展させていきました。

 

ダーウィン本人も、地面が徐々に隆起することや、古き海の痕跡が山で発見できたことから、自然は徐々に変化するという考えに確信を持つようになりました。

 

また、この地震と山の探索は、「自然が少しずつ変化していくように、生物も些細な積み重ねによって変化するのではないか……」と、地質学と生物学の共通点を発見しただけでなく、進化論のヒントを得た出来事でもありました。

 

 

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