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【世界に潜むラテン語⑧】驚くべき年と恐るべき年

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【前回記事】

 

この記事は、書籍「世界はラテン語でできている」を読んで興味深かった内容について抜粋して紹介する記事です。

  

世界はラテン語でできている  Amazonより

     

この本は、古代ローマから用いられてきた言語が現代にどのように残っているのかについて書かれています。 

     

政治、宗教、科学だけでなく、美術やゲームなど幅いジャンルに浸透している言葉について知ることで、世の中の解像度が上がって世界が少し楽しくなるかもしれません。

    

今回のテーマは、“驚くべき年と恐るべき年”という言葉についてです。

  

  

「驚くべき年(annus mirabilis)」

〜引用・要約〜

歴史を見てみると、重大な出来事が短期間に集中して起こ ることがあり、その場合はその期間に名前が付けられることがあります。

 

「驚くべき年」という言葉はラテン語で“annus mirabilis”と言い、これまでも数々の年がannus mirabilisと形容されてきました。

 

中でも有名な“驚くべき年”が1665年から1666年で、この期間についてジョン・ドライデンという17世紀のイングランドを代表する詩人が“Annus Mirabilis(驚異の年)”という詩を書いています。

 

ジョン・ドライデン(ユリウス歴1631〜グレゴリオ歴1700年)

 

彼の詩の中では、イギリスとオランダが戦った第二次英蘭戦争において、イングランドが勝利を収めたローストフトの海戦、オランダ側が勝利した四日海戦、加えてパン屋のかまどから出火しロンドンの大部分を焼いた「ロンドン大火」という火事などが語られています。

 

ちなみにannus mirabilisのannusは「年」という意味で、英語のannual(年間の)、annuity(年金)、anniversary(例年の記念日)の語源になっています。

 

さらに、西暦○○年を示す際に使われる“AD” はanno Domini(主の年において)というラテン語の略です。

 

主とはイエス・キリストのことであり、西暦がキリストの誕生した年を元年に設定しているため、このような言い方になっています。

 

またラテン語のmirabilis(驚くべき)は、mirus(驚くべき)という言葉から派生した語です。

 

このmirusは、英語におけるmiracle(奇跡)、mirror(鏡)、admire(称賛する)、mirage(気楼)などの語源となっています。

 

人名のMiranda (ミランダ)も、 ラテン語で「驚くべき人、崇敬されるべき人」という意味合いで、このmirusが元になっています。

 

 

「恐るべき年(annus horribilis)」

annus mirabilis について語ったので、次に“annus horribilis(恐るべき年)”についても触れておきましょう。

 

特に恐るべき年として扱われているのは、イギリスにおける1992年です。

 

当時、女王エリザベス2世の文通相手だったエドワード・フォード氏が1992年をこのように表現し、それを女王がスピーチの場において引用したことでイギリス国民に広く知られることになりました。

  

実際、この年は女王の次男であるヨーク公爵とアンドルー王子が妻と別居することになり、長女であるプリンセス・ロイヤル・アンが離婚。

 

さらにはウィンザー城が火事に見舞われ、 チャールズ皇太子がダイアナ妃と別居するなど、王室にとって暗い出来事が数々と起こりました。

 

火災後に修復されたウィンザー城 wiki Mark S Jobling より

 

このラテン語のフレーズに使われているhorribilis(恐るべき)はhorreo 「恐れる」の派生語で、このhorreoは英語 のhorror(恐怖)、horrid(恐ろしい)、horrific(身震いさせる)、horrendous(ひどく恐ろしい)、abhorrent(憎むべき)などの語源になっています。

 

恐ろしい年という印象がある1992年ですが、ガリレオ・ガリレイの名誉回復など、歴史に残る良いニュー スも数々あった年でもあります。

〜引用・要約ここまで〜

  

英語における「ミラクル」や「ホラー」といった言葉にはこういった語源があるのですね。

 

英国にとってはイギリス王室のいざこざなどは特に恐るべき年だったのでしょうことが伝わってきます。

  

そういえば1666年のロンドン大化によって市街地の8割が消失しましたが、この出来事によって、修繕が行われた結果、都市の近代化が行われたとも言われています。

  

雨降って地固まるではありませんが、大きな不幸が結果的に良い方向に発展していった例でもありますね。

   

古き予期を守りすぎて寂れていくぐらいなら、現代の新しきを取り入れながら創造するというのも文化を発展する手のひとつであると言えますね。

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