【前回記事】
この記事では、山口謠司氏が著した“面白くて眠れなくなる日本語学”より、個人的に興味深かった内容を紹介していきます。
著書内で語りきれていない点などもの補足も踏まえて説明し、より雑学チックに読めるようにまとめていく積もりです。
今回のテーマは“飛鳥と明日香が同じ読み方な理由”です。
飛鳥も明日香も同じく「あすか」と呼びます。
文字数も違えば音読みも違う完全に別々の二つの言葉なのに、同じ発音をするのは何故なのか。
これには漢字の流入に深い関係があるとされていう学説があります。
そんな説について、以下にまとめていきます。
飛鳥も明日香も同じく「あすか」と呼ぶのはなぜ?
はるか昔、縄文時代よりも前の日本には、日本語の原型になる言葉を話す者たちがいました。
千島列島とロシアが氷河によって繋がり、最寒期には九州と朝鮮半島も流氷によって往来ができたとされており、日本に移り住んだ人々がいたと考えられています。
南方、北方から多種多様な民族だ移り住み、会話に適した言語として作り出したものが日本語です。
もちろん正確に記した記録があるあわけではありませんので、詳しいことが分かっているわけではありません。
ただ、中国大陸では紀元前1500年頃には殷王朝が建てられ、現在の漢字となっている者を使い始めています。
紀元前1000年頃になると、漢字の発達によって“史記(歴史書)”が記されるようになり、漢字文化圏が誕生します。
すると、次第に漢字の文化は日本にまで到達するようになります。
それまで話言葉しかなかった日本に、中国大陸側から漢字をよく知った者が渡ってきます。
そして、それまで音でしかなかった地名や人名を漢字で表す文化が生まれていきます。
音読みと訓読み
漢字が日本に入ってきたことで、音読みと訓読みという区別が生まれてきます。
中国大陸人が“海”を指差し、「あれは“カイ”といって漢字では“海”と書くのだ」と教えてくれます。
日本人もそれで漢字と読み方を覚えるでしょう。
しかし、日本人は古来から海を“ウミ”と読んでいました。
「でも俺たちは“ウミ”って読んでるんだよなぁ」
と“海(カイ)”と書いたものを“そら”と呼び続けるのです。
こういった経緯から、日本語における漢字は、次第に音読みと訓読みに分かれて言ったとされています。
“飛鳥”と“明日香”についても同様のことが言えます。
元々日本人が両方とも「あすか」と読んでいた地名を、後から入ってきた漢字によって区別するようになっていったのです。
当時の日本に渡ってきた中国大陸人からすると、飛鳥は「あすか」ではなく「ひちょう」、明日香も「めいにちこう」などと教えていたのかもしれませんね。
音読みや訓読みにはこのような歴史背景があったのですね。
幼いころからずっと謎に思っていたことの一つが解決できました。
現在、お経は音読みで読まれていますが、その理由は元々インドのサンスクリット語が中国で漢字に翻訳されたからだそうです。
文化が混ざり合って日本に伝わるのってなんだか面白いですね!
ちなみに、贅沢三昧(ぜいたくざんまい)の「ざんまい」は、サンスクリット語の「サマーディ(समाधि)」が語源とされており、瞑想などで精神集中が深まりきった状態を意味するそう。
言葉は意外なところで繋がりがあるんですね。
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