哲学

【韓非子⑨】話が“伝わる”ようにするには傾聴と共感が必要

哲学

【前回記事】

 

この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書韓非子についてまとめていきます。

     

韓非自身も彼の書も、法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。

      

そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。

   

【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。

    

今回のテーマは“説(ぜい)の務めは、説く所の衿(ほこる)を飾り、恥ずる所を滅す”です。

 

   

  

説の務めは、説く所の衿を飾り、恥ずる所を滅す  

【本文】

凡そ説の務めは、説く所の衿を飾り、而(しこう)して其の恥ずる所を滅するを知るに在り。

 

 

彼に私急有らば、必ず公義を以て示し、而してこれを強くせよ。

 

 

其(そ)の意下(いや)しき有りて、然り而して已(や)む能(あた)わざるものには、説者因りて之(これ)が為に其の美を飾り、而して其の為(な)さざるを少とせよ。

 

 

其の行わざるを多とせよ。

 

 

衿るに智能を以てせんと欲する有る者には、則(すなわ)ち之が為に異事の類を同じくする者を挙げて、多く之が地を為(つく)り、之をして説を我より資(と)らしめ、思考して佯(いつわ)り知らずして、以て其の智に資せよ。

 

 

相存(そうそん)の言を内(い)れんと欲せば、則ち必ず美名を以て之を明らかにし、而(しか)して其の私利に合うことを微(かす)かに見せよ。

 

 

危害のの事を陳(の)べんと欲せば、則ち其毀誹を顕(あき)らかにし、而(しか)して其の私患に合うことを微かに見せよ。

 

 

異人の与(とも)に行を同じくする者を誉め、異事の与に計を同じくする者を規(いさ)めよ。

 

 

与に汚を同じくする者有らば、則ち必ずを以て其の傷むこと無きを大いに飾れ。

 

 

与に敗を同じくする者有らば、則ち必ず以て其の失無き事を明らかに飾れ。

 

 

彼自ら其の力を多とせば、則ち其の難を以て之を概する毋(な)かれ。

 

 

自ら其の断を勇とせば、則ち其の謫(たく)を以て之を怒らす無かれ。

 

 

自ら其の計を智とせば、則ち其の敗を以て之を窮する毋かれ。

 

 

大意(たいい)払忤(ふつご)する所無く、辞言撃摩する所無く、然る後に智弁を極聘(きょくへい)す。

 

 

此れ親近を得て疑われず、而して辞を尽くすを得る所道なり。

 

【解釈】

そもそも人にもの説く際のポイントは、相手の自慢したい点を飾ってやり、恥じている点を消してやる、そのコツを知ることである。

 

例えば、相手に差し迫った欲求、それも利己的な欲求があるような場合は、私は必ず一般的な正義を持ち出し、その欲求が利己的でないように見せた上で、実行する自信をつけさせる。

 

また相手の志望に余り好ましくない点があり、実行を躊躇しているような場合は、私はここでその志望の良い点を飾り立て、実行しないのを咎めるのである。

 

相手の意向には高尚な点があり、しかも実際に手をつけかねているような場合は、私は彼の為にその誤りを指摘し、欠点を示して、実行しないことを褒める。

 

また、彼が自分の知恵、自分の能力で考え出したものとして、ある計画を発表して自慢しようとしている場合は、私は彼のために類似する別の事例について話し、参考となる材料を多く並べ、私の話しが彼の意見に役立つようにしてやる。

 

さらに、私が全く知らない王公に対し、国と国、家と家との間で互いに助け合う趣旨の意見を認めさせよう、と思う場合は、必ずその行為が道義の上から美名を得るものだと言い立て、その行為が王公の私利にもかなっている事を仄(ほの)めかすがよい。

 

また、危険な事をやめさせようとする場合は、そのことが道義の上から非難されるだろうと言い立て、その事は私欲にも合わない事を仄めかすがよい。

 

ある貴人を褒める際は、直接褒めるのではなく、他の人で同じような事をやった人やその例えを褒め、諫(いさ)めるにしても似た事柄の他の例えを出し、あれは良くないと言って聞かせるがよい。

 

ある貴人が道義上まずいことをやった場合は、同じ過失をした人を引き合いに出し、その過失は気にかけるほどのものではない事を大いに論じてやる。

  

ある貴人が計画を行なって失敗した場合は、同じ失敗をした人を引き合いにして、必ず、その失敗は実は失敗と見る程のものではないということを論じてやる。

 

相手はその能力を誇りたいようなら、欠点を掲げて一概に決めつけてはいけない。

 

その決断力を誇りたいようなら、その誤っている点を掲げて怒らせてはいけない。

 

相手の気持ちを掴み、私の意見の趣旨が相手の心に逆らうところもなく、言葉遣いが相手の感情を刺激することもない、という段階になったら、これからは私の知識と弁舌を傾け尽くすのである。

 

このようにするのが、相手に親近することを得て、何を言っても疑われず、十分に会話ができる手段なのである。

 

 

まずは傾聴と共感する

前回に続き、相手に話を聞いてもらうことの難しさを表した節ですね。

 

誰かと話をするとき、まずは自分の自分の意見をあれこれ話すのではなく、相手の意見に耳を傾けて共感することが大切と言っています。

 

十分に相手の心を掴んだところで、初めて自分の意見を受け入れてもらう……。

 

傾聴と共感は相手と対話する上で大切と言われていますが、一国の君主においても同じことが言えるようですね。

 

「伝える」だけならある程度弁が立つ人であれば誰でもできますが、相手に「伝わる」かどうかは全く別の話。

 

そんな人に意見を伝える術についてのお話でした。

 

次回記事

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました