この記事では、日本からヨーロッパに伝わった陶磁器や、ヨーロッパから始まった磁器メーカーについてまとめています。
豊臣秀吉の朝鮮出兵をきっかけに日本に伝わった磁器製造の技術がどのようにヨーロッパに伝わり、遠く離れた地ではどのように発展していったのかについて歴史を追って記事にしました。
それぞれの記事のまとめと一緒に載せてあるので、気になったところがあったら覗いてみてください。
ヨーロッパを魅了した日本の陶磁器~有田焼と伊万里焼~
・朝鮮出兵時、鍋島直茂のスカウトによって李参平が渡来
・李参平が有田に良質な磁鉱石を発見することで日本でも磁器の焼成が可能に
・藩主鍋島茂公に磁器を献上したことで有田焼がスタート
・その後中国国内の内乱の影響もあり、日本製の磁器がヨーロッパへ輸出される
・マイセンが開窯するまで中国製陶磁器、日本製陶磁器とも人気を博す
陶磁器の発展と錬金術師ベトガー ~マイセンの誕生~
・窯の発明によって陶磁器が発達した
・中国では白磁器が作られ、ヨーロッパで人気を博した
・ヨーロッパでは白磁器を作るためにベトガーとチルンハウスらが尽力した
・マイセンの誕生によって、陶磁器の文化は王族、貴族から市民と時が経つにつれて広がっていった
門外不出!マイセンの焼成技術が流出 ~マイセンの歴史~
・ベトガーの死によって技術が流出
・ヨーロッパで2番目の窯であるウィーン窯が磁器生産を開始
・これを皮切りに各国で磁器が作られるようになる
マイセンの天才絵付け師ヘロルト登場〜マイセンの歴史〜
・シュテルツェルがヘロルトを連れてマイセン窯へ戻る
・ヘロルトが王のお眼鏡にかない、専属絵付師になる
・ヘロルトが工場長になり、マイセン窯の人気が再燃
マイセンのモデルマイスター“ケンドラー”〜マイセンの歴史〜
・ケンドラーが成形師として招かれる
・アウグスト王の死によってバロック様式からロココ様式へ
・様々な点でケンドラーとヘロルトが対立
・戦争によって欧州が荒れた後、二人は表舞台姿を消す
世界初のコーヒーカップを作った磁器工房 ~アウガルテンの歴史~
・デュ・パキエによって、ヨーロッパで2番目の磁器工房として誕生
・パキエの後にマリア・テレジアが工房を引き継ぐ
・テレジアの庇護の下でアウガルテンが発展していった
革命の中で発展するウィーン磁器工房〜アウガルテンの歴史〜
・マリア・テレジアの死後、新古典主義が生まれる
・贅沢を嫌ったヨーゼフ2世がウィーン窯を売却しようとする
・買い手がつかなかった窯は、ゾルゲンタール男爵によって窯の経営が改善
・これ以降窯の技術力が大幅にアップ
・フランス革命の煽りで、ビーダーマイヤー様式が生まれる
ウィーン磁器工房アウガルテン誕生〜アウガルテンの歴史〜
・ハプスブルク家の衰退と産業革命の煽りを受け一時閉窯
・戦後に復活した際に“ウィーン磁器工房アウガルテン”と名称を改める
・ホフマンら次世代アーティストによって現代に続くアウガルテンが形作られていく
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