人類が火を扱うようになると、食べ物を直火や熱した石で焼いたり、さらに土器を使って煮炊きするようになりました。
土器が発明されたのはおよそ2万年前の中国江西省、および極東ロシアだと考えられています。
土器は主に非常に細かい粒の土である粘土から作ります。
粘土は水を加えて練り合わせると適当な粘り系を持ち、様々な形にすることができます。
それを火高音で焼くことで、粘土粒子の一部が融け、粘土粒子同士が密着して硬くなり、土器が出来上がります。
これは人類最初の化学製品とも言われています。
初期の土器は野焼きで焼かれ、焼成温度は600から900度で、多くは平地または簡単な窪地で焼いたと推定されています。
土器で煮ると、ドングリや栗、クルミなどの堅果類、山芋やカタクリなどの茎根類が柔らかくなり、アクを取り除くことができました。
肉を煮ると柔らかくなり、旨みも増し、その後には干し肉にもできました。
土器によって煮炊き料理ができ、栄養豊富な煮汁まで採取できるようになりました。
これらの料理革命によって定住生活が始まり、その後、穀物を主役とした農耕革命へと進展していきます。
土器がなければ、これらライフスタイルの大きな変化はなかったとされ、人類の文化的な生活を大きく飛躍させたアイテムとされています。
日本での土器
現在、日本で発見された最も古い土器は、青森県大平山元Ⅰ遺跡から出土したものが挙げられます。
これらの土器は、炭素年代測定法によって測定した所およそ1万6,500年前の縄文土器だということが分かりました。
学校で学んできた縄文時代は、およそ1万2,000年前から1万2,300年前と教わってきました。
現在、縄文時代は、土器の作成技術に基づいて、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の六つの期間に大きく分けられています。
考古学者の間で議論はありますが、もし時間的に最も長く考えたとしても、縄文土器の出現から更に4,000年以上も遡ることになります。
定住についても、南日本では約1万1,000年前に、季節的な定住が始まり、1万〜9,000年ほど前には通年の定住が始まったようです。
日本最大級の縄文集落“三内丸山遺跡”に見られるように、人々は栗の木を集落の周りに植えており、栗の実を食用にし、木材は住居の柱にも利用していました。
中期の遺跡では翡翠、琥珀、黒曜石などが多数出土していますが、翡翠は新潟県糸魚川流域、琥珀は千葉県の銚子や岩手県の久慈が原産地です。
これらのことから、遠隔地との交易がなされていたと考えられています。
人類の文化的な交流は、これまで思われていたよりも早い時期から起こっていたのかもしれませんね。
まとめ
・土器の発明はおよそ2万年前
・土器は人類初の化学製品と言える
・土器によって定住生活が行われ、文化のレベルが飛躍的に上がった
なぜ今、土器の話をしているのかというと、陶磁器の歴史を調べているうちに、器の根源である土器にたどり着いたからです。
陶磁器の歴史に興味を持ったきっかけは、ちょっとした悔しさからです。
とあるお店で目にしたソーサーが魅力的だったのですが、次の日購入しようとお店を訪れたところ売れしてしまっていて……。
そんな悔しさを紛らわすためにちょいとそのジャンルに目を向けています。
陶磁器に興味を持ったのは初めてのことだったので、その魅力の一端に触れてみたいと思い立ち現在調べています。
普段何気なく使っている器がどのような歴史を辿ってきたのか……。
今後少しの間、ブログという場を借りて、学んだことや豆知識などについてアウトプットしていこうと思います。
【次回記事】
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