の続き…。
前回の記事ではカントやプラトンの哲学と、それ影響されたと言われるショーペンハウアーの哲学について触れていきました。
今回は引き続きショーペンハウアーの哲学をベースに、彼が追求したモノ自体について深堀りしていきます。
モノ自体の追求
モノ自体は消えないが…、モノ自体とは何なのか…?
ショーペンハウアーは人が死や眠りなど認識をやめることで、その人の表象(認識できるものやこと)は失われ世界は消えると考えました。
しかし人が認識の中で創っていた世界には、大本となる何かが存在するはずです。
プラトンでいう完全無欠の存在(世界)であるイデアですね。
それを彼は“モノ自体”であると考えました。
どれだけ人が死にそれぞれの世界が消えようとも、世界の大本を創っているモノ自体は消えることはないと主張しました。
人間というフィルターを通している以上、モノ自体を直接観察することはできません。
そこで彼は世界に溢れる現象や物たち…、つまり表象を観察しようとしました。
そうすることで何か共通点が見つかり、モノ自体を解明する手がかりになるのではないかと考えたのです。
意志を持つ表象たち
ショーペンハウアーが表象の観察によって得られた答えのひとつは、“生きることへの努力”でした。
あらゆる生命は生きる為の盲目的な意志があり、物質は生きる意志の一部の表れであると考えました。
・目=生きるために見る意志
・耳=生きるために聞く意志
・口=生きるために食べる意志
・胃=生きるために消化する意志
・性器=生を繋ぐための意志
……。
これらのことからショーペンハウアーは、モノ自体とは意志のことであると主張しました。
我々はこの意志が表象として表れたものを世界として認識しているのであると…。
意志と表象
ショーペンハウアーは“意志が表象として世界に現れる際には段階がある”と言いました。
【自然法則=むき出しの意志】
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【植物=個性の意志】
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【動物=性格の意志】
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【人間=理性の意志】
自然法則はレベルが低い段階の意志であり、植物、動物、人間と意志のレベルが上がっていく感じです。
順番に取り上げていきます。
【自然法則=むき出しの意志】
時間には経つという意志があり、重力には落ちるという意志があり、光には明るくするという意志があります。
その例が自然法則です。
これは良い光だ!これは良い重力だ!など、自然法則に種類など感じる事はありません。
レベルが低い段階の意志ほど種類や個性がなく、意志がむき出しになっています。
【植物=個性の意志】
意志のレベルが上がると、意志は個性を生み出します。
その例が植物です。
水の運搬や呼吸などひとつひとつを見れば自然法則に過ぎませんが、それが複雑に絡み合うことで個性として表れます。
【動物=性格の意志】
レベルが更に上がると、意志は性格を生み出します。
その例が動物です。
気性が荒い犬もいれば大人しい犬もいる。
自然法則や個性が複雑絡み合うと、性格が表れるようになります。
【人間=理性の意志】
そして意志が最高位のレベルになると、理性を生み出します。
その例が人間です。
人間は様々な低位の意志が絡み合っています。
人間が持つ理性の最大の特徴は“観念を想像する力がある”ことです。
これによって過去や未来、ここではない場所や他者、神、架空の存在などを想像することができます。
また命をかけた自己犠牲など、本能に背いた行動もみられるようになり、生きる意志が見えにくくなっているのです。
意志の闘争
世界は表象と生への意志で成り立っている。
先の考えから、意志のレベルによって現れる性質が違うことに気付いたショーペンハウアー。
彼はそれぞれの意志は理由なく闘争を繰り返していると言いました。
そして長い闘争の中で低位の意志が高位の意志に勝つことがあります。
それが死です。
動植物や自然法則に負け、最後には物質という低位の意志に還っていきます。
“世界は我々が認識している表象と、盲目的な生きることへの意志”によって成り立っていると彼は考えたのです。
表象の観察によって世界の在り方を見つめたショーペンハウアー。
植物や動物が性器を隠すことがないことに対し、人間が性器を隠すのは理性の表れとも言えますね。
この意志は長い時間をかければ高位のイデアになることもできるとも主張しています。
自然法則しかなかったはずの原始地球(や宇宙)から生物が生まれるという生物発生の起源や、チャールズ・ダーウィンが考えた進化論にも通じる考えを体系化させていたことに驚きです。
次回はそんな彼が考えた“生きる”とは何なのかについて書いていきます。
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