哲学

それはまるで犬のような生き方~ディオゲネス~

哲学

古代ギリシャの哲学一派にキュニコス派が存在しました。

  

キュニコス派が考える幸福とは徳を積むことであり、欲求を捨て去り徳に繋がる生き方を理念としていました。

 

キュニコス派のひとりにディオゲネスという人物がいました。

  

ディオゲネスは“徳こそが人生の目的であり、欲望を捨て去り動じない心を持つこと”を信条とした人物です。

  

また、反プラトン的な思想をもって、プラトンと問答を繰り広げたとも言われています。

  

今回はそんなディオゲネスという人物にフォーカスしていきます。

  

彼の生き方を驚き蔑む人もいれば、ある意味羨ましく思う人もいると思います。

  

ディオゲネス

 

  

ディオゲネス

ディオゲネスは現在のトルコ北部にあたるシノペという町で生まれました。

  

青年期のディオゲネスが神殿へ信託を受けに行くと…、

「そなたは国に広く通じるものを変える力がある」

という言葉を授かります。

  

この言葉をどう捉えたかは分かりませんが、その地で流通していた通貨を偽造したとし告訴されてしまいます。

  

ディオゲネスの父はその際に投獄された末死んでしまいますが、ディオゲネスは国外に逃れることとなりました。

 

この頃既にディオゲネスは55歳を超えていたとされています。

 

  

キュニコス派に入門

国外に逃れたディオゲネスは、アテナイに身を寄せ哲学者として活動を始めます。

  

その際キュニコス派の開祖アンティステネスの元を訪れました。

 

アンティステネスはディオゲネスの入門を何度も断りましたが、ディオゲネスは引き下がることはありませんでした。

  

アンティステネスが痺れを切らし棒で叩こうとしたところ、ディオゲネスはこう言いました。

  

「その棒は私の心を動かすほど強くありません。」

  

この言葉によってアンティステネスは折れ、ディオゲネスはキュニコス派の入門を許されました。

 

  

プラトンに物申す

彼の哲学スタイルはソクラテスが行った対話法が主でした。

  

どんな相手の問答にも屈しない姿が人気を博し、彼の名は町に知れ渡ることになりました。

  

そんなある日、あのプラトンとの問答になります。

  

プラトンの思想は、“この世のすべての根源はこの世の外にあるイデアの一部を反映しているに過ぎない”というイデア論が中心でした。

  

そんなイデア論の講義をしているプラトンを前に、ディオゲネスはこう言いました。

ディオゲネス
ディオゲネス

私には机の真の姿は見えない。

それに対しプラトンは…。

プラトン
プラトン

それはお前の見る目がないからだ。

と一蹴します。

 

ディオゲネスは、

「目に見えないものを考えすぎても結局分からないのだから、心を動じさせずに徳を重んじて生きよう。」

というキュニコス派の思想を前面に押し出し、問答を繰り広げたのです。

  

その他にも…

プラトン
プラトン

毛のない動物、それが人間である。

というプラトンの言葉に、ディオゲネスは羽をむしった鶏を見せつけ…

ディオゲネス
ディオゲネス

ではこれも人間ですか?

 

と言ったと伝えられています。

  

プラトンは後に彼を

「狂ったソクラテス」

と評しました。

 

  

奴隷になるディオゲネス

ある日彼が海を航海中、海賊に襲われ奴隷にされてしまう出来事がありました。

  

奴隷市場で競りが行われた際、「お前ができることは何だ?」という奴隷商の問いにこう答えました。

「私は人を支配することができます。」

  

この答に興味を持ったクセニアデスという人物が彼を買い、家事から子供の家庭教師などを命じました。

 

命じられたこのの他、お金の使い方や主人の商業の手伝いなど期待以上に物事こなすため、クセニアデスは

「福の神がやってきた!」

と喜んだそうです。

  

最終的にクセニアデスにそれまでの功績が認められ、奴隷から解放されることになります。

 

  

犬のディオゲネス

自由になったディオゲネスは、キュニコス派の“徳以外に何もいらない”という思想を実践します。

  

犬小屋のような樽を寝床とし、水と頭陀袋以外は持ち歩きませんでした。

  

食べ物は物乞いでしのぎ、その生活の様子を周りの人々は「彼は犬のようだ」と揶揄しました。

  

ディオゲネスは心を動じない教義の極地にあり、本人は犬と言われたことさえも認めていました。

  

そんな彼は意外にも彼は町の人から愛されていました。

 

家代わりの樽が何者かによって壊されたときも、町の人々から新しい樽が贈られたそうです。

  

そこには哀れみもあったのかもしれませんが、町の人々が彼の生き方を認めている証拠でもありました。

 

  

アレクサンドロス大王とディオゲネス

ある日、征服王として名を馳せたアレクサンドロス大王が町を訪れました。

  

町の人々は総出で迎えましたが、ディオゲネスだけは出迎えにいきませんでした。

  

そんな彼の噂を聞いたアレクサンドロス大王は、自ら彼に会いにいきます。

  

大王がディオゲネスを訪ねたとき、彼は日向ぼっこの最中でした。

  

大王を前にしても全く動じないディオゲネスを前に、アレクサンドロスはこう言います。

「何か望みのものがあれば何でも用意するぞ。」

  

これに対しディオゲネスは、

「であればそこをどいてください、あなたがそこにいると日陰になってしまう。」

  

また大王は、

「私が恐ろしくないのか?」

と問います。

  

ディオゲネスは、

「あなたは善い人ですか?悪い人ですか?」

と返します。

  

大王

「無論、善き者である。」

  

ディオゲネス

「善き者を恐れる必要がありますか?」

  

そんなことがあったにも関わらず、大王は気を良くして帰っていきます。

  

帰り道に大王は、

「もし今の立場でなかったら、私はディオゲネスになりたい。」

と漏らしたそうです。

  

ディオゲネスの生き方に幸福の本質を見出したのかもしれませんね。

 

  

ディオゲネスの最後

そんなディオゲネスの最期は、息をとめる練習をしている最中に死んだとか、タコを食べたことによる食中毒によって死んだとか、犬にかまれたことによる病気で死んだなど様々な憶測がされていますが、未だに謎のままです。

  

彼の思想の大元であるキュニコス派は、後に欲望を捨て去るという思想のストア派にも受け継がれていくことになります。

 

  

豆知識

“皮肉な態度をとるさま”、“冷笑的”の意味を持つcynicalという単語。

 

この単語はキュニコス派を指すcynicという言葉が語源とされています。

  

欲望を捨て、世の中の快楽から一歩離れた視点で物事を見る…そんな意味から考えると納得ですね。

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