前回の記事にて哲学の祖であるソクラテスについて書きました。
今回はソクラテスの弟子であり、哲学という学問を確立させたビッグネーム“プラトン”を紹介しようと思います。
記事を前半と後半に分け、前半は彼の生い立ちを、後半は彼の哲学的な考えをまとめていきます。
アリストクレス
アテナイで育ったプラトンの青春は、アテナイとスパルタの対立によるペロポネソス戦争とともにありました。
この戦争はスパルタの勝利に終り、プラトンはアテナイの繁栄の終わり時代を見た人物でした。
本名はアリストクレスと言います。
アリストクレスは体格に恵まれ肩幅も広いことから、“広い=プラトン”と呼ばれ、そのあだ名が一般的に呼ばれるようになったと言われています。
当時のギリシャの上流階級では文学と武道に励むことが推奨され、プラトンもレスリングで優勝した記録があるほどの腕前がありました。
彼が28歳の頃、師であるソクラテスが刑死しています。
ソクラテスは自身についての記述を残しませんでした。
その代わりにプラトンが彼について、考えや教えを書き残しています。
今になって伝わっているソクラテスについてのほとんどは、プラトンの書き残しによるものです。
アカデメイア創設
紀元前388年頃、プラトンはピュタゴラス教団の哲学を学ぶためにイタリアを訪れます。
ピュタゴラス教団は、ピュタゴラスが数学的な原理を用いて宇宙の仕組みを解き明かすことを目的に創設した集団です。
ピュタゴラスの死後100年あまりが経っていましたが、プラトンはそこで数学
や幾何学、哲学的思想を学んだとされています。
イタリアから戻ったプラトンは、アテナイ郊外に学園アカデメイアを創設しました。
哲学やその他の学説を学ぶ若者が集う学びの楽園です。
アカデメイアは約900年もの間存続し続け、そのおかげでプラトンのイデア論、法学、政治学、数学、幾何学、神学、論理学、問答法…など多岐にわたる著作が保管され、そのほとんどが現在でも残っています。
以上が彼の生い立ちから学園創設までの大まかな流れです。
次回の記事ではイデア論や洞窟の比喩など、彼の哲学的な考え方について触れてきます。
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