“言語学の祖”と呼ばれたフェルディナン・ド・ソシュール。
ソシュール以前の言語学は“歴史言語学”と呼ばれ、言語の統計や言語が持つ特異性、どのように広がっていたのかを中心としていました。
そんな中ソシュールは、自身の言語研究を通しながら言語の本質とは何かを追求していきます。
後に彼は言語をシーニュ(フランス語で記号の意)だと考え、哲学的に体系化していきます。
今回はそんなソシュールが考えた言語哲学について触れていきたいと思います。
シニフィアンとシニフィエ
全ての言語は記号の体系なのではないか…?
10代のころから多くの言語を学んできたソシュール。
彼はあるとき、私たちが使う言語も他国民や他民族が使う言語も、すべては記号の体系ではないかということに気づきます。
記号はフランス語でシーニュ(signe)、動詞形になるとシニファー(signifier)といいます。
これをもとにソシュールあるふたつの言葉を定義します。
1つ目はシニフィアン(signifiant)。
シニファーの現在分詞であり、意味は“意味していること”です。
言語哲学においては“1つの記号を表現した文字とその音声”のことを指します。
2つ目はシニフィエ(signifie)。
シニファーの過去分詞であり、意味は“(既に)意味づけされていること”です。
言語哲学においては“1つの記号が持っている概念やイメージ”を指します。
次にこれらを使った具体例を示します。
海という記号
「海」という言葉を記号だと考えると…。
「海」は海という意味を持つ文字であり、文字通り“うみ”と発音されます。
これがシニフィアン(文字や音声)です。
「海」という記号にはもう一つの側面があります。
寄せては返す波の姿や音、砂浜や水平線などを思い浮かべることもできるでしょう。
これがシニフィエ(概念やイメージ)です。
ソシュールはあらゆる言語でこのような二面性があることに気づいたのです。
言語は世界に区切りをつける
ソシュールの考察は更に続きます。
彼はシニフィアン(文字や音声)とシニフィエ(概念やイメージ)の間に本質的な関係は無いと言いました。
一体どういうことでしょうか…?
日本ではマグロのことはマグロ、カツオのことはカツオと呼び分けています。
対して英語では両方合わせてツナ(tuna)です。
日本では蝶と蛾が区別されています。
英語でも蝶はバタフライ(butterfly)、蛾はモス(moth)と区別されています。
対してフランス語では両方パピヨン(papillon)です。
世界中の言葉は、自分たちの目の前にあった情報を自分たちなりに整理をして、概念やイメージとともに区別しています。
つまり“言語は世界に区切りをつけることができる”とソシュールは考えたのです。
以上で前編は終わりです。
ソシュールが考える言語の認識が少しずつ分かってきましたね。
後編では、ソシュールの考えをさらに深堀り!
この記事の内容をなぞりながら紹介していきます。↓
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