の続き…。
~前回までのあらすじ~
ゼネラル・エレクトリック本社に入社したテスラだが、エジソンと意見の違いから対立。
1年で会社を辞め、自分で交流電気のプロモーションをしているところにウェスティングハウスから声がかかる。
これのお陰でテスラの目的の一つであった交流電気の普及が進むが、それを良しとしないエジソンとの対立もまた激しくなっていく。
電流戦争
交流のイメージを悪くするぞ。
送電システムの普及に伴い、シェアの奪い合いをするゼネラル社とウェスティングハウス社。
エジソンをトップとするゼネラル社がとった戦略は、交流電気のネガティブキャンペーンでした。
エジソンは交流による感電の記事を書いていたハロルド・P・ブラウンを雇い、感電死の研究と広報活動を命じました。
ブラウンは研究所で様々な動物を使って実験を行い、犬や猫など身近な動物から、象などの大型動物を使って感電死の研究を進めました。
こうした研究を経て開発されたのが“電気椅子”です。
エジソンはこの電気椅子を、絞首刑に変わる新しい処刑方法を探していたニューヨーク州に売り込み、1889年には正式な処刑法として採用されました。
更にエジソンは、
今度から“処刑する”という言葉を“ウェスティングハウスする”と言おう!
と宣伝をし、徹底的なイメージ戦略をとっていきました。
真逆の戦略をとったウェスティングハウス社
今こそ交流の力を見せるとき。
ゼネラル社のネガティブキャンペーンに対し、テスラの所属するウェスティングハウス社は真逆の戦略をとりました。
100万ボルトの交流を自身の体に通して照明を灯したり、高電圧が流れるすぐそばで読書をしたりと交流の安全性をアピールしました。
この結果、交流の安全性が認められたウェスティングハウス社は、ナイアガラの滝を利用した水力発電事業の使用権を獲得します。
一方エジソンは、交流へネガティブキャンペーンが失敗し、殺人電気椅子の発明家などマイナスのイメージを持たれることになってしまいました。
交流の時代到来
交流しかないのか…。
ナイアガラの滝での電気事業の主導権を得たウェスティングハウス社は、交流を用いた水力発電所の計画案を発表します。
遅れをとったゼネラル社も発電システムの計画案を発表しますが、ゼネラル社が考案した発電システムは“交流”によるものでした。
エジソンは先の敗北によって経営方針を変更、直流から交流に変えウェスティングハウス社と戦おうと決めたのです。
そもそも電気のエキスパートであったゼネラル社は、交流の研究でも一定の成果を出すことができたため、競争は平行線をたどります。
結果、ナイアガラの滝を使った電気事業は2社共同で行われることが決定。
電力の根幹を成す“発電システム”はウェスティングハウス社が、既にノウハウの整っているゼネラル社は“送電システム”を担当することになりました。
ここまでで一応の収まりを見せた電流戦争。
現在でも送電は交流が主流であることを考えると、この争いはテスラ側(ウェスティングハウス社)に軍配が挙がったと言えるかもしれませんね。
Fin…
番外編
争っている時間がもったいない。
エジソンとウェスティングハウスが争いを続けていた中でも、テスラは研究手を休めることは一切ありませんでした。
多額の特許料を得たテスラはその資金を研究に費やし、今までとはくらべものにならない研究を次々行っていきます。
以降、彼が生み出した装置や理論によって、彼はマッドサイエンティストと呼ばれるようになっていきますが、それはまた次回のお話にて!↓
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