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この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきます。
“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。
「一日に百回転んでもいい。それだけはやく起き上がることを学ぶことになる。」
失敗することで成長するということを伝えている言葉です。
ルソーが生きた時代18世紀ヨーロッパでは、子供は小さな大人とみなされ早いうちから仕事に携わってきました。
そのため子供の失敗は大人と同じように叱責されることも多くありました。
ルソーはそれに異を唱え、失敗することをポジティブに捉えようと言ったのですね。
「子どもの遊びを、楽しみを、その好ましい本能を、好意をもってみまもるのだ。」
子供の興味が学びになるということを伝えている言葉です。
この言葉は以下のような文の後に続いています。
「教育が道理にかなったものだとしても、絶えず苦しい勉強をさせられ、しかも、そうした苦労がいつか有益になる保証もない。
そんなかわいそうな子どもを見て、どうして憤慨せずにいられよう。子どもを愛するがいい。
子どもの遊びを、楽しみを、その好ましい本能を、好意をもってみまもるのだ。」
本当にやるべき勉強の基準が定まっていない状態で、大人の自己満足を押し付けることは悪であると言っているのですね。
「苦しみにたいして彼を強くすることによって、わたしは将来の幸福を準備しているのだ。」
子どもの頃に身につけた忍耐力が、将来何かしらの成果を得るための力になることを表した言葉です。
理不尽や必要のないことを我慢する力は必要ないと思いますが、何かを得るために耐え忍ぶ力は必要です。
ルソーは我慢と忍耐の違いを理解した上で、エミールが欲望に対して負けないように考えたのですね。
今回は学びに対しての考え方が中心の言葉でした。
特に“一日に百回転んでも良い”と分かっているかいないかで、失敗への向き合い方に大きく影響します。
親が過干渉だったり、単に子守的に勉強を教わっている状態の子どもだと、失敗すらさせてくれないということも考えられます。
失敗から学べない子だったり、失敗を恐れて行動できない子にさせないためにも、失敗させてあげる優しさが必要ですね。
ルソーも、命に関わるような失敗はさせる前に防ぐべきですが、骨を折ったりするレベルならまだ許容範囲だと言っています。
ご時世的にそんなことさせたら叩かれそうですが、ある程度の怪我は前提で考えてあげると、本人のためになったり子どもを見る側の立場も楽になると思います。
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