の続き…。
前回の記事では、マルクスの若い頃についてまとめました。
若いうちから他国の革命や政府による社会行動の抑制を経験したからか、素行は良くなかったようです。
しかし彼が俯瞰した視点から国を見ることができたのも、この経験があったからかもしれません。
この記事では彼が“資本論”を書くまで人生をまとめていきます。
ボン大学に舞い戻る
1841年、学位を取得したマルクスは、故郷トリーアに戻りボン大学の教授を目指します。
ボン大学で教鞭をとっていたブルーノ・バウアー(ヘーゲル左派で無神論者)の伝手によって大学と関係をもちます。
同年二人(主にバウアー)は“無神論者・反キリスト教徒ヘーゲルに対する最後の審判ラッパ”を出版します。
当時の教会とプロイセン国家の繋がりを批判したこの著書を出版したことで、二人(主にバウアー)はプロイセン政府から危険視されることになります。
これによってマルクスの大学教授への道は絶望的になってしまうのです。
教授職をあきらめた彼は、その後ジャーナリストとしても道を歩みはじめます。
元々文学的な興味が高く、物書きとしての才能があった彼にはぴったりの職業でした。
ジャーナリストとしてのマルクス
彼は国の検閲制度を批判する旨の記事を大手新聞社に寄稿しましたが、検閲が厳しく文章が載ることはありませんでした。
しかし彼の記事を見た新聞社の編集長とバウアーの推薦もあり、ライン新聞で記事を書くことができるようになります。
彼が感じている不満や世間が感じている怒りを記事にできるとして意気揚々と記事を書き上げるマルクス。
しかし結局政府を批判する旨の記事は、検閲の末にお蔵入りの連続でした。
あの手この手で政府批判や、無神論的な立場の主張を書きますが、それも検閲に引っかかってしまいます。
結局ロシア帝国を批判する記事を書いたことがきっかけでロシア政府から圧力がかかり、ライン新聞自体が解体される始末になってしまいます。
職を失ったマルクスは、ヘーゲル学派のジャーナリストであるアーノルド・ルーゲの誘いを受けて、“独仏年誌”を創刊するためにパリで活動をはじめるようになります。
エンゲルスとの出会い
1844年、マルクスとルーゲは独仏年誌の創刊号を出版します。
創刊号の中には、まだ無名ではありましたがフリードリ・エンゲルスも記事を寄せていました。
実はこの時すでにマルクスとエンゲルスは面識がありました。
ライン新聞時代にエンゲルスの記事が寄稿されたりと、薄いながらも二人の間には関係があったようです。
互いの記事や思想を知っている二人は、独仏年誌の記事寄稿をきっかけに親交を深めていくことになります。
マルクスはエンゲルスの書いた“国民経済学批判大綱”に強い感銘を受けます。
国民経済学批判大綱には、資本による富の拡大や私有財産の正当化するアダム・スミスやデヴィッド・リカードらへの批判が書かれていました。
これを境にマルクスは社会学の研究に打ち込み、共産主義の考えを確立していったのです。
結局彼はプロイセン政府からの圧力があり、14ヶ月でパリを去ることになりますが、この期間はマルクスに大きな転機を与えることになりました。
終生の場をイギリスへ
パリ追放後、プロイセン王国(ドイツ諸国)にもスイスにも入国できないマルクスは、友人やの援助を受けイギリスへ亡命。
1849年頃からロンドンにて、資本論の根幹に関わる社会経済学の研究に打ち込みます。
しかし仕事が無い彼(と彼の家族)の生活環境は劣悪なものでした。
プロイセンが放ったスパイの報告書には、
「マルクスはロンドンの最も安い宿に住み、まるで洞窟に住んでいるかのような生活をしている。」
と書かれるほどでした。
食べるものも満足にない、着る物も質に入れる、寒さを凌ぐのも精一杯。
それでも図書館へ行って研究を続ける毎日。
そんな中でも一つの希望はありました。
唯一彼の社会経済学の研究を支えた人物エンゲルスの存在です。
資本家であったエンゲルスは、マルクスを資金面で支援し続けていきます。
資本論の完成
エンゲルスはマルクスの社会経済的分析に大いに感銘を受け、書籍化することを願っていました。
ただ、マルクスがその書籍を書き上げるまでに18年とかなりの時間を要することになります。
中々完成しない研究の成果にエンゲルスは何度も催促しました。
進捗の確認ついでに自分も草案を送ったりと色々苦労したそうです。
そうしてようやく書き上げた本がマルクスの“資本論”だったのです。
資本論は全部で三巻あります。
しかしマルクスが書き上げたのは第一巻のみです。
彼は一巻の完成後に64歳でこの世を去ってしまいます。
残りの第二巻、三巻はエンゲルスがマルクスの草案から書き上げることになるのです。
(続く…)
次回からはいよいよ資本論について触れて行きます。
マルクスが分析した社会の形態とはどんなものだったのか…。
当時最盛期を迎えていた資本主義に対してどのようにメスを入れていったのか…。
膨大な情報量である資本論をポイントを絞ってまとめていきます。
コメント