アリストテレスにデカルトにニュートンに…みな光に取り憑かれた~光学の発展~

歴史
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今回は光のスペクトルの発見についてです。

  

古くから研究されてきた光。

  

虹の観察から始まり、現代では量子力学にまで研究の幅を広げています。

   

今回は光が学問として発展するきっかけとなった光のスペクトルの発見までをまとめていこうと思います。

   

 

アリストテレスの気象学

アリストテレス像

古代ギリシャの頃から哲学者(自然学者)は光による現象の解明しようと研究していました。

  

紀元前300年頃までに哲学者アリストテレス虹が自然現象であることを突き止めるまでは、虹は生き物(や生き物が起こす現象)だと考えられてきました。

   

アリストテレスは気象論にて「虹は我々の視線が太陽に向かって反射するものである」と述べ、赤、青、緑の三つの色によって作られると考えました。

   

この赤、青、緑は後に光の三原色として研究の対象になっていきます。

   

 

ルネ・デカルトの屈折光学

ルネ・デカルト(1596~1650年)

中世に入るとアラビアや中国でも光の研究が盛んになり、イギリスの哲学者ロジャー・ベーコンが太陽の高度が42°以上になると虹が見えなくなることを発見します。

   

さらにドイツの哲学者ディートリヒがフラスコの中に反射した太陽の光が、フラスコの位置によって色を変えることを発見。

  

変わる色の順番が虹と一緒だということに気づき、光の謎が解き明かされていきます。

   

17世紀になると、レンズを使った拡大鏡や望遠鏡が発明され、光学機器が著しく発達します。

   

レンズに開発によって光の屈折が注目されるようになった頃、この光の屈折について研究に取り組んだ人物がルネ・デカルトです。

   

デカルトはなぜ光が決まった高さにいつも同じ形でできるのか、なぜ副虹は主虹と色が逆なのか光の屈折を使って解明しました。

   

彼は空気中の水滴をモデルに太陽の光の反射を計算します。

デカルトの虹の説明図

  

A→B→C→D→E(目)

屈折・反射・屈折をして、太陽光と並行の仮想線から42°の角度で目に入る光が主虹

   

F→G→H→I→K→E(目)

屈折・反射・反射・屈折をして、太陽光と並行の仮想線から51°の角度で目に入る光が副虹

   

ということを明らかにしました。

   

これは現在でも使われている虹の光が目に入るモデルとしても

   

しかしこの段階においても、なぜ虹は様々な色を見せるのかについては推測の域を脱しませんでした。

 

  

アイザック・ニュートンの光学

アイザック・ニュートン(1643~1727年)

デカルトの研究から少し後、イギリスの物理学者アイザック・ニュートンが頭角を現します。

   

彼はペストが流行し大学が休校になった際、プリズムに光を通すと色が現れるという現象に注目し研究しはじめます。

   

彼は太陽光をプリズムに通すことで、光を様々な色に分けることができるということを示しました。(光のスペクトル)

プリズムとそれを通る光のスペクトルのイメージ

  

太陽光のような色のついていない光は、実は様々な色が重なり合った結果だと分かったのです。

  

1704年、ニュートンが61歳になる頃、光の性質を推論と研究によってまとめた論文“光学”を発表します。

 

彼は光が常に真っ直ぐ進むことや、鏡などに反射する性質から、光は粒であると考えていました。 

   

しかし、廊下の光が暗い部屋の扉(障害物)の後ろにも回り込む現象や、光が重なると強くなったり弱くなったする現象の説明がつきませんでした。

   

これは波が持つ現象でした。

   

その後ホイヘンスやマクスウェルらによって光=波として長く浸透していきますが、今度は逆に光=粒でないと説明がつかない現象も発見されます。

  

最終的にアインシュタインが光の粒子説を復活させたことで、現在光は粒と波の両方の性質があることが定説となっています。

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