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科学

ダイヤモンドと黒鉛の違い~同素体~

単体の中には同じ元素なのに性質が異なるものがあります。 酸素原子が2つ結びついた酸素O₂は、無色・無臭の気体で、空気中の約20%を占める馴染み深い気体です。  同じ酸素原子3つ結びつくと、反応性が高く有毒なオゾンO₃となります。   炭素の...(続きを読む)
哲学

経験で知る知識~ア・ポステリオリ~

ア・ポステリオリア・ポステリオリとは、ラテン語で“より後に、後天的に”の意味を持ちます。  ア・プリオリ(経験に基づかない知識)↓とは逆の概念です。 経験をした後、後天的に身につく知識や認識をア・ポステリオリと呼ぶことが多いです。  簡単に...(続きを読む)
教育

教師よ、言葉は少な目にするがいい。~エミールより~

前回記事この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきます。   “子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。     ...(続きを読む)
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歴史

【記事まとめ】アレクサンドロス大王VSダレイオス3世 ~イッソスの戦い&ガウガメラの戦い~

最近の歴史カテゴリではエジプトのファラオについてまとめています。  史上初の軍事記録を残したファラオ切っての豪傑ラムセス2世も好きですが、途中で弩級怪物が現れたのでその人物にフォーカスして紹介します。   アレクサンドロス大王とエジプト~イ...(続きを読む)
歴史

アレクサンドロス大王VSダレイオス3世~ガウガメラの戦い③~

の続き…。 エピソード10「決定打」アレクサンドロス率いるヘタイロイ部隊の猛攻は、この戦いの決定打となりました。    ダレイオス3世めがけて突撃した部隊は、敵の隊列の隙間を縫うように進撃。  この攻撃によってダレイオスの近衛兵を撃破し、敵...(続きを読む)
歴史

アレクサンドロス大王VSダレイオス3世~ガウガメラの戦い②~

の続き…。  エピソード6「ペルシャ軍の戦略」遂にマケドニア軍VSペルシャ軍の戦いが始まります。  心身では有利に立っていたマケドニア軍でしたが、数でも地形でもペルシャ軍が圧倒的に有利でした。   【ペルシャ軍の戦略】ペルシャ軍は平地と大軍...(続きを読む)
歴史

アレクサンドロス大王VSダレイオス3世~ガウガメラの戦い①~

の続き…。 序:アレクサンドロスとダレイオス3世イッソスの戦いで大金星を挙げたアレクサンドロス。  その後の戦いも勝利を重ね、エジプト一帯を支配下に置きます。  エジプトにて十分な休息と軍備を整えた後、彼はペルシャの中心であるバビロンの征服...(続きを読む)
歴史

アレクサンドロス大王とエジプト~イッソスの戦い②~

の続き…。    エピソード5「イッソスの戦い」退路を断たれた4万のマケドニア軍は、背後のダレイオス3世率いる10万のペルシャ軍と戦う覚悟を決めます。 軍を反転させたマケドニア軍は、ペルシャ軍とピナロス川を挟んで向かい合いました。    紀...(続きを読む)
歴史

アレクサンドロス大王とエジプト~イッソスの戦い①~

以前の記事にて、マケドニアの王としてアレクサンドロス大王を紹介させてもらいました。 この記事からはファラオ繋がりとして、エジプト王に君臨したアレクサンドロス大王へ話が広がっていくことになります。 今回は、彼がエジプト支配のきっかけになる戦い...(続きを読む)
経済

資本家は労働者を長く働かせる~資本論⑥~

(↑前回記事) 前回は資本を生み出す労働について記事にしました。  資本論によると、資本とは増える貨幣のことであると言っています。  本来価値のやりとりは等価交換です。  しかし“労働力”という特殊な商品によって、等価交換という枠を越え、価...(続きを読む)
科学

宇宙レベルで年代を測定できる元素~ルビジウム~

ルビジウムは反応性が極めて高いアルカリ金属元素です。  水に入れると激しく反応し水素を発生させ、その反応熱によって爆発を起こします。  空気中でも自然発火するので、反応性の低い希ガスを充満させたガラスの中で保存したりします。  セシウムやリ...(続きを読む)
哲学

経験はしていないが知っている知識~ア・プリオリ~

今日私たちが得ている知識の大半は、過去の経験に基づくものです。  例えば毎日太陽が昇ることを知っているのは、実際に外で起こっている事実を見て知っているからです。  植物が成長する基本が太陽と水であることを知っているのは、そういった事象を科学...(続きを読む)
歴史

歴史上初の軍事記録~ラムセス2世&カデシュの戦い~

ラムセス2世を取り巻く環境ラムセス2世 BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)より新王国時代である第19エジプト王朝は、ラムセス2世の頃に最盛期を迎えました。 トトメス3世らが作り上げた第18王朝と比べると領土は半分程度となっていましたが...(続きを読む)
芸術

地獄の使者か天の使いか~死の天使~

今回紹介するのはフランスの画家オラース・ヴェルネの作品です。  エミール・ジャン=オラース・ヴェルネ(1789〜1863年)  画家の息子として生まれたオラース・ヴェルネは、父から絵の技法を学び、肖像画、歴史画、戦争画などを盛んに書きました...(続きを読む)
歴史

若くして亡くなった少年王~ツタンカーメン~

ツタンカーメンの父アクエンアテン(アメンホテプ4世)は、エジプト史上初の宗教改革を行いました。↓ 父がアテン神を篤く信仰していたこともあり、彼は“トゥトアンクアテン(アテン神の似姿、生まれ変わり)”という名を授かりました。 アクエンアテンの...(続きを読む)
教育

子どもを物知りにできれば十分と考えるのは愚かなことだ。~エミールより~

前回記事前回記事この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきます。  “子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。  ...(続きを読む)
歴史

ファラオ界の異端~アメンホテプ4世~

第18王朝ファラオであるアメンホテプ4世。アメンホテプ4世(アクエンアテン)  アクエンアテンを名乗りエジプトに君臨した王です。(以降アメンホテプ4世をアクエンアテンと記す。)  アクエンアテンとは“太陽神アテンに有益な者”を意味し、その名...(続きを読む)
哲学

資本を生み出す労働~資本論⑤~

(↑前回記事) 前回までの資本論では、“貨幣と資本の違い”についてまとめていきました。 資本=増える貨幣とまとめましたが、本来等価交換が基本である流通の中でどうやって資本が増えるのか…。 今回の資本論は増えた分の貨幣…その名も“剰余価値”を...(続きを読む)
芸術

背後にいるのは本当に老人…?~二人の老人~

フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828年) 美術カテゴリーでは引き続き、フランシスコ・デ・ゴヤの黒い絵シリーズの紹介をします。   今回紹介するのは、ゴヤの屋敷一階入り口を入ってすぐ右に飾られていた絵についてです。     二人の老人フ...(続きを読む)
芸術

ミケランジェロが描いた敬虔なキリスト教徒~聖アントニウスの苦悩~

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475〜1564年) ミケランジェロはイタリアルネサンス期に活躍した芸術家です。 メディチ家の支援を受け、様々な芸術作品を生み出したミケランジェロ。  有名な作品としては“ダビデ像”やシスティナ礼拝堂に描か...(続きを読む)
歴史

ファラオたちの憧れ~トトメス3世~

トトメス3世は、父トトメス2世の死後わずか6歳にしてファラオに即位しました。  しかし人々を統べるにはまだ幼すぎた彼は、継母ハトシェプストと共にエジプトを統治することになります。  ハトシェプストは領地や資源獲得のための遠征などは控え、貿易...(続きを読む)
歴史

女性初のファラオ~ハトシェプスト~

前回紹介したイムホテプ(↓記事参照)同様、ハトシェプストはエジプト史に残る類まれな生涯を歩みました。ハトシェプストとは“最も高貴な女性”を意味する名です。 彼女は幼きトトメス3世に変わり、ファラオとしてエジプトを統治した人物です。  ハトシ...(続きを読む)
歴史

ピラミッドの設計者であり神になった男~イムホテプ~

イムホテプはエジプト第3王朝の2代目ファラオであるジェセルに仕えた宰相です  知恵の神トトを信仰し神官を務め、ファラオからは絶大な信頼を置かれていました。   イムホテプの功績元は庶民の出であったが、医学、天文学、建築学など学識に優れ、異例...(続きを読む)
雑記

毎日ブログ投稿1000日達成!~ブログをやってて良かったこと5選~

昨日の記事にてブログの連続投稿が1000日を越えました。  2019年の3月からALISのブログをスタートして、一日も欠かさず続けることができました。 最初は何となく始めたブログでしたが、関わってくれる人の温かさやALISブログの書きやすさ...(続きを読む)
哲学

資本とは増える貨幣である~資本論④~

(↑前回記事)    前回の記事では金属が貨幣になった理由をまとめていきました。  量や重さが表しやすく、分割と合体が簡単で、大きさによって質が変わらないという特性が、ものの価値を計るのにぴったりだったのですね。  また貨幣には価値を表す機...(続きを読む)
芸術

世界最古の芸術作品~ラスコー洞窟の壁画~

ラスコー洞窟の壁画は最古の芸術作品のひとつです。  この洞窟が見つかったのは歴史的にかなり最近であり、1940年フランス中部のモンティニャックという村での近くで発見された。  村の少年たちが、たまたま入った洞窟の中に絵が描かれていることに気...(続きを読む)
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