以前、神の存在証明↓にて触れたルネ・デカルト。
アウトプットついでに、彼についてもう少し掘り下げていこうと思います。
ルネ・デカルト
デカルト
我思う、故に我在り
フランスのラ・エーに生まれたデカルト。
哲学(科学)や数学分野の著書をいくつも著し、現在でもデカルト主義に通じる考えを残した人でもあります。
彼の著書「省察」には、彼が六日間部屋に籠って考えた事柄が書き綴られています。
彼は今自分が信じているもの全てに疑問を投げかけ、疑うことのできない事実だけを真理として認めようとしました。
そこで彼が至った見解が、かの有名なセリフ
「我思う、故に我在り」
でした。
このことを考えている自分が今まさに存在するのだから、自分という意思や精神の存在することは疑いようがない事実であるということです。
しかし精神と肉体は別
デカルト
肉体は、大きさや形や速度がある物質に過ぎない
自分の根源たる存在を認めたデカルトは、次に肉体について考えました。
精神とは違い
「肉体という物質は本当に存在しているのだろうか…?」
と考える余地がありました。
デカルトにとって肉体は、あくまでも大きさや形や速度を持ちながら運動する幾何学的な物体に過ぎないか、それに似たようなものでした。
彼からすれば動物は、考えることができない(と思っていた)機械のような存在であり、運動する部分が組み合わさっただけのものであると考えていたのです。
ルネ・デカルトが唱えた神の存在証明
これらの“考えることができる事実”という思想は、彼が唱えた神の存在証明でも応用されています。
・第一証明
神という無限的な存在について、なぜ有限である私たちが考えることができるのだろうか。
それは神が人間に神(無限)という概念を与えてくれたからである。
この概念が無ければ、神を考えること自体不可能なはずである。
・第二証明
我々はこの世の継続と連続の中で存在することができる。
継続せず存在できるものはない。
記憶を断片的に思い出せるように、一瞬一瞬の時間すらも分断されているものが続いている(継続している)に過ぎない。
この継続を司り、存在を保持しているものこそ神である。
・第三証明
全ての観念や概念は、完全な存在である神に由来する。
「神はいない」と定義付けると、神の存在性が失われ前提が崩壊してしまう。
よって神は存在する。
デカルトの方法序説
また彼は「真理を探究するための方法序説」において、四つの考え方を書き残しました。
①独断と偏見を避け、すぐに決めつけず注意深く考えること
②曖昧な部分はできるだけ分割し、分かるようにしてから考えること
③先ずは分かるところから考え,次第に複雑なものへ移っていくこと
④見落としがないかどうか、全体を良く見て確信を得ること
まるで勉強のやり方を教わっているようですね。
勉強に限らず、何かのスキルを取得するのにも役立つ考え方だと思います。
以上、ルネ・デカルトについてのまとめでした。
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