モンゴル帝国帝国の初代皇帝チンギス・ハンこと鉄木真(テムジン)。
当時はバラバラだったモンゴル部族の族長の一人として生まれたテムジン。
父のエスゲイが毒殺されると、13歳で部族長となります。
彼のカリスマ性はピカイチで、バラバラだった各部族をまとめ上げ、モンゴル全域を統一するほどにもなりました。
このことから、「全皇帝の中の皇帝」を意味する「チンギス・ハン」と言われるようになります。
戦わずして勝つ!恐怖を伝える情報戦
長らく遊牧しながら生活していたモンゴル民族。
幼い頃から馬の扱いに長け、その技術は他国の騎馬隊を圧倒します。
また勝ち負けにこだわる気質も、その戦闘に強く反映されており、押して勝っても引いて勝っても、はたまた敵を欺いて勝っても勝ちは勝ち。
逆にどんなに不利な戦いでも負けたら恥という考えが、彼らの闘争心を煽っていきました。
中でも卓越した能力は情報戦です。
戦う前には相手の拠点となる場所にスパイを潜り込ませ、モンゴル帝国の恐ろしさを吹聴します。
「彼らが戦うと言ったら、女子供問わず残虐な方法で皆殺しにされる。」
「例え一人のモンゴル兵だとしても、町一つを制圧するのには十分だ。」
・・・
など、チンギス・ハンやモンゴルの軍の恐ろしさを十分に浸透させた後、ある遣いを相手国に向かわせます。
遣いは決まってこう言います。
「我がモンゴルの軍相手に降伏するなら良し、さもなくば皆殺しにする。」
こうして、戦わずして降伏させることができたのです。
世界の四分の一を手中に収める
チンギス・ハンの死前後、彼らの領土は最大となり、世界の四分の一を征服したと言われています。
支配下に置かれた国は現在の中国、ロシア、イラン、アフガニスタン、インド、カザフスタン、トルクメニスタン、キルギスなどに及びました。
ドイツやオーストリアも目前だったのですね。
チンギス・ハンの死によって、遠征が中止にならなければ東ヨーロッパから更に領土を広げた可能性も示唆されています。
国間の交流が盛んになった
チンギス・ハンによるモンゴル帝国の成立前、ヨーロッパとアジアの交流はほとんどありませんでした。
残虐であったモンゴル帝国ですが、ヨーロッパとアジアの文化的交流を盛んにしたり、シルクロードの安全を確保したりと、新たな資源の開拓への活路を見出したという点は、評価すべき点としても上げられています。(その結果どうなったかはまた別として…。)
チンギスハン後のモンゴル帝国
後のハンたちも、領土を獲得すべく侵略と征服を繰り返していきます。
孫に当たるフビライ・ハンは日本にもその手を伸ばし、今で言う元寇のきっかけにもなったのですね。
最後は拡大した領土をまとめ上げることのできる人物が台頭せず、遺産をめぐる内紛によって内側から崩壊(というか分裂)する形で縮小していく形になっていきました。
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