アペレスは古代ギリシャにのおける有名な画家として語り継がれている人物です。
彼の作品で残っているものはなく、書物によってアペレスという名の天才的な画家がいたことが分かっていることからその存在が知られています。
現存する彼の作品はありませんが、作品を復元しようと挑んだ画家達がいました。
サンドロ・ボッティチェリはその復元に挑んだ巨匠のひとりです。
ボッティチェリはルネサンス期に翻訳された手記をもとに、“アペレスの誹謗”を復元しました。
絵の登場人物はそれぞれ、真実、後悔、欺瞞、無実…などを表しています。
この絵については別の機会でまとめていきます。
アペレスとアレクサンドロス大王
アペレスは私よりもカンパスペを理解している。
アペレスについては、古代ローマの学者プリニウスが著した百科全書“博物誌”に由来するものがほとんどです。
その中のひとつにアレクサンドロス大王とアペレスにまつわる話があります。(事実かどうかは謎)
アペレスがアレクサンドロス大王の妻のひとりカンパスペを描いたときのことです。
完成したカンパスペの絵を見たアレクサンドロス大王は、
「カンパスペのことを本当に理解しているのは、私ではなくアペレスだ」
と言い、絵を受け取る代わりに、カンパスペを妻にすることを許したといいます。
またアペレスはカンパスペをモデルにし、最高傑作と言われる“海から現れるアフロディーテ”を描きました。
もう一人の天才画家プロトゲネス
アペレスと同時代の画家にプロトゲネスがいました。
プロトゲネスも当時最も有名な画家のひとりで、アペレスの最大のライバルでした。
プロトゲネスの絵を見たアペレスは、彼の絵に対して何も指摘ができないほどに完成された技術を有していたそうです。
そんな二人の間に起きた逸話も紹介します。
アペレスVSプロトゲネス
ある日アペレスがプロトゲネスの工房を訪れたときのことです。
その時プロトゲネスは不在で、留守を任された使用人がいるだけでした。
アペレスは置いてあった筆をとり、パネルに綺麗な直線を引き、
「プロトゲネスが帰ってきたらこれを見せよ。」
と言い帰っていきました。
帰ってきたプロトゲネスは、パネルに書かれた線を見た瞬間、誰が訪ねたのかを理解しました。
プロトゲネスはアペレスが書いた線の隣に、別の色で更に美しい線を引き、
「次にアペレスが訪ねてきたらこれを見せよ。」
と使用人に伝え、また出ていきました。
翌日アペレスが工房を訪ねた際、やはりプロトゲネスは不在でした。
パネルに残された線を見ると、自分が最初に書いた線よりも美しいと感じ、自身が書けるであろう最高の線を書きその場を後にしました。
プロトゲネスが工房に戻った際、彼はすぐさまアペレスを探しに行き、素直に負けを認めたといいます。
二人が描いた3本の線が書かれた絵は、ガイウス・ユリウス・カエサルの屋敷に保存されていましたが、後に屋敷の焼失とともに消え去ってしまいました。
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