命綱なしで屋上から地上を見たとき、熊やライオンなどの人間を圧倒する生き物が目の前に現れた時……。
一歩間違えたら死が待っているという恐怖の前で、平然としていられる人間は多くないでしょう。
恐れることは生物の遺伝子に刻みこまれた生存本能であり、それを失った生物が遺伝子を後世に残すことは極めて難しいことでしょう。
しかし、バンジージャンプやアトラクション施設のローラーコースターに代表されるように、人間(やカラスなどの一部の動物)は、死をともなう恐怖を遊びに変えることができる奇妙な性質もっています。
しかもお金を支払ってまでその恐怖(スリル)を求めるというのも奇妙な話です。
そんな嗜好にも変わる恐怖ですが、不安障害やストレス障害などの場合、恐怖による反応が精神衛生や個人の生活の質に深刻な影響を与える可能性があります。
今回はそんな恐怖についての研究を紹介します。
参考記事)
・Scientists Discovered a ‘Fear Switch’ in The Brain, And How to Turn It Off(2024/03/15)
参考研究)
・Generalized fear after acute stress is caused by change in neuronal cotransmitter identity(2024/03/14)
恐怖をコントロールする遺伝子
カリフォルニア大学の神経生物学者ホイクアン・リー氏が率いる研究チームは、強い恐怖を受けたマウスにおける脳の神経信号伝達の変化を分析し、恐怖を止める方法についてアプローチしました。
脳内の変化を追跡できるように、神経伝達物質のグルタミン酸に関する特定のトランスポーターと脳細胞の核内の蛍光タンパク質を発現するように遺伝子改変されたマウスで行われた。
マウスには、特定の条件下で2つの異なる強で電気ショックが与えられました。
2週間後に電気ショックが与えられた空間に戻ると、マウスは恐怖で固まる傾向がありました。
人間でも強いショックを受けた人や恐怖を目の前にした人の中には固まってしまうこともあり、マウスでも同様の動作が見られたようです。
恐怖状態に陥っているマウスの脳内を調べてみると、哺乳類の脳幹に位置する背側縫線と呼ばれる領域に変化が見られることが分かりました。
この領域は、前脳に大量のセロトニンを供給するだけでなく、気分や不安の調節に関与するとして知られており、恐怖の学習にも重要な役割を果たします。
極度の恐怖によってもたらされた背側縫線内の変化は、ニューロンのスイッチを切り替え、神経伝達機構をグルタミン酸(ニューロンを興奮させる)からGABA(ニューロンの活動を抑制する)に変えることを発見した。
PTSDの人を対象とした脳の研究では、グルタミン酸からGABAへの同様の神経伝達の切り替えが示されたこともあり、このニューロンを切り替えるスイッチは、全般性恐怖症や不安障害と一致する症状を引き起こすと考えられています。
では逆に、このスイッチの切り替えを利用して恐怖反応を抑制する方法を見つけることはできないでしょうか。
この疑問を究明すべく、研究ではGABAの生成に関与する遺伝子を抑制するアデノ随伴ウイルスをマウスに注射しました。
その後、研究者らがこれらのマウスに恐怖刺激を与えて訓練したところ、ウイルスで治療しなかったマウスに見られる全般性恐怖障害の兆候は発現しませんでした。
また、研究者らはこれらの反応を基に、恐怖の影響を軽減する方法を発見しました。
恐怖を受けた“直後”に一般的な抗うつ薬フルオキセチンで治療すると、神経伝達物質のスイッチが入り、その後に起こる恐怖反応が防止されました。
ただし、それは即時でなければなりません。
スイッチが入り、恐怖反応が明らかになってから薬を投与した場合は効果が薄いことが分かり、これは、PTSD患者に抗うつ薬がしばしば効果がない理由を説明できる可能性があると述べています。
これらを受け、カリフォルニア大学神経生物学者ニコラス・スピッツァー氏は、「この研究結果は、恐怖に関わる一般的なメカニズムについて重要なデータを提供するものである」と語る一方、「これらのプロセスを分子レベルで理解することが必要である」と述べ研究の伸び代について言及しています。
以上、恐怖を取り除く研究についてのまとめでした。
狩猟時代と比べて安全性が高い現代社会では、恐怖そのものが私たちから離れるつつあります。
しかし、こういった研究は恐怖に付随する精神疾患の治療にも応用可能とされ、心の健康を保つ一助になりそうです。
チームの研究はScienceにて詳細を確認することができます。
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