以前告知していた通り、今回からWeb3とDAOをテーマにまとめていきます。
著書“Web3とDAO 誰もが主役になれる「新しい経済」”を中心に、その他メディアから得た知識をブログにて綴っていきます。
Web3とはなんなのか……、Web3があることで私たちにどのような影響があるのか……、そんなことを知るきっかけになればと思います。
はじめに
Web3とDAO 誰もが主役になれる「新しい経済」の冒頭にはこう書かれています。
「この本は、単なる経済書でも、技術書でもない。
自己啓発書やSFのような未来予知本でもない。
今後世界を覆い、社会的な大変化を引き起こすWeb3というインターネットの転換点と、その背景にある“DAO”というブロックチェーンによって可能になった、新しいコミュニティについて、概要と本質をまとめたものである。」(一部省略)
Web3と、それを支えるDAOがいかに革新的なシステムなのかを伝える本ということですね。
まずはWeb3に入る前に、知っておくべき背景である“コンピュータとインターネットの歴史”から触れていきます。
チューリングとエニグマ
インターネットの歴史はどこから始まったのかは所説ありますが、近代的なコンピュータが生まれた頃に起因するとされています。
その大きな転換点となったのは1940年、第二次世界大戦勃発直後のことだと考えられます。
“情報”が持つの軍事的な価値は、それまでの戦争とは比べ物にならないほど大きいものでした。
敵の上陸、攻撃、補給の予定を知ることは、戦闘により効率的に勝利するためのツールとなっていました。
回線は常に敵に傍受され、情報漏洩を防ぐための暗号化技術も発展していきます。
そんな暗号合戦が繰り広げられる中、イギリスの数学者アラン・チューリングは、当時のドイツ軍が使用していた暗号“エニグマ”解読に従事しました。
エニグマは平分を一文字ずつ他の文字に置き換える換字式という暗号システムを使った装置です。
その組み合わせは1京ものバリエーションがあり、当時は解読不可能とされました。
チューリングはこれに対して“ボンブ”を開発。
ボンブは、膨大な組み合わせの中から、上手く解読できなかった組み合わせを振るい落とすという回路を使った装置です。
これによって暗号の解読が可能になり、ドイツ軍を追い詰めるきっかけになります。
コンピュータの誕生
彼は第二次世界大戦前すでに、“チューリングマシン”という架空の概念を論文で発表していました。
論文では、“マシン上で計算手順が記述可能なことと、実際に計算が可能であることが同じ”であることを示しました。
チューリングマシンによって計算の手続きを記述できるものがアルゴリズム。
アルゴリズムをコンピュータ上に実装したものがソフトウェアと言えます。
しかしこのチューリングが考えた概念は、あくまで理論上のものに過ぎませんでした。
その論文を読んで感銘受けた人物が一人……、アメリカの数学者ジョン・フォン・ノイマンです。
チューリングマシンの論文が発表されたのと同じ頃、米国のペンシルバニア大学では、世界初の電子計算機“ENIAC”が開発途中でした。
ノイマンはこのENIACプロジェクトに参加していましたが、この計算機はプログラミングに膨大な時間がかかる上に、複雑な計算ができないなど欠点が多く、彼にとって満足のいく研究ではありませんでした。
ノイマンがチューリングマシンの論文を読んで関心を寄せたのは、プログラムもデータと同じように扱っていたところです。
プログラムは命令、データは資料(プログラミング言語で表せるもの)と定義されています。
ENIACではプログラムをいちいちリアルな導線の接続で入力していました。
しかしプログラムもデータ同様にメモリに置いておくと、命令の反復、選択ができるようになります。
例えば……、
・Xが0より大きければ●のプログラムを実行
・Xが0より小さければ▲のプログラムを実行
といった条件によって動く命令や、
・■のプログラムが実行されたら、◆のプログラムに戻る
などのループする命令などが可能になります。
現在のプログラミングとほとんど同じようなものだと気づいた方もいるでしょう。
これを基に彼は、ノイマン式コンピュータを考案することになります。
現在私たちが知っているメモリやコンピュータプログラムといったものは、このノイマン式コンピュータから生まれたものです。
インターネットの誕生
さてさて時は第二次世界大戦後、アメリカとソ連がにらみを利かせる冷戦時代へ突入します。
ソ連は世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功します。
これによって米ソの宇宙開発競争が始まります。(スプートニク・ショック)
そうなると、コンピュータの軍事的な価値がさらに多くなり、限られたコンピュータにどれだけの人員を割けるか冷戦で優位に立つ鍵になってきました。
とは言え、コンピュータはまだまだ大型で動かすことが困難なこともあり、利用できる研究者が限られていました。
そこで求められたのが、研究者が遠く離れていてもコンピュータを利用できる仕組みです。
1969年10月、カルフォルニア大学ロサンゼルス校、カルフォルニア大学サンタバーバラ校、、ユタ大学、スタンフォード研究所にある計4台のコンピュータを繋ぐ“ARPANET(アーパネット)”が稼働しました。(Advenced Research Projects Agency NETwork=ARPANET)
固定電話や携帯電話は、相手と自分が一本の線で繋がる“回線交換方式”が使われています。
この場合、相手か自分のどちらかに故障などのトラブルが生じると、回線が切れて通信ができなくなります。
これに対してARPANETは、パケット交換という仕組みを採用しました。
パケット交換方式は、データをそのまま転送するのではなく、圧縮、小分けし、一定量のデータにして送ります。
通信中に自分と相手のどこかに不具合生じても、別な送信経路を用いて通信を続けることが強みです。
小さな小包(Packet)を送るような様子から、パケット方式と呼ばれています。
冷戦には徐々に民間にもARPANET解放され、現在のインターネットの原型となっていきました。
まとめ
さて、いかがだったでしょうかコンピュータの歴史。
チューリングやノイマンなど、どこかで聞いたことがある人物がでてきましたね。
Web3の話ちゃうんかい!
……と思った方がいたらすみません。
歴史や背景を知ると、物事はより深く楽しめると思っている性分なため、どうしてもまとめたくなってしまうのです。
もう少ししたらそれらしいことに触れていきますので、それまでしばし流れをお楽しみいただけると幸いです。
次回は、Web1、Web2、Web3についてのお話です。
いよいよインターネットの本領発揮!
段々と我々との関係も近づいていきます。
次回記事
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