人が見てくれなくても善いことをするように少女たちをしつけるがいい。これこそ本当の宗教だ。~エミールより~

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この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきます。

     

“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。

      

またそれらの言葉がこの本の要約にもなるようまとめていきます!

  

ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778年)

 

           

「少女たちの前であなたが規則的にお祈りをするだけにするがいい。」

少女たちに宗教を教えるには、決してそれを少女たちにとって悲しいこと、つらいことにしてはいけない。

  

決して学課や宿題みたいなことをしてはいけない。

  

したがってそれに関係することは何でも、お祈りでさえも、決して暗記させるようなことをしてはいけない。

 

少女たちの前であなたが規則的にお祈りをするだけにするがいい。

 

と言っても、その場にいるように強制しないことだ。

  

イエス・キリストの教えに従って、お祈りは簡単にするがいい。

  

お祈りをするときにはいつも、それにふさわしく、心を落ち着け、うやうやしい態度を示すがいい。

  

  

「実例を示さなければ、子どもに対しては絶対に何事も成功しない。」

少女たちが早く宗教を知ることはそれほど大事なことではない。

 

むしろよく知ること、そして特に、宗教が好きになることが大事なのだ。

  

あなた方がそれを彼女たちにとって重荷になるものにするとしたら、彼女たちはどう考えるだろう。

  

絶えず神を彼女たちに対して怒っているものとして描いてみせるとしたらどう考えるだろう。

  

神の名において色々と骨の折れる義務を課しながら、あなた方自身そういう義務を果た全然ん果たしてないことが彼女たちに分かったとしたらどう考えるだろう。

  

教理問答を覚え、神に祈ることは小さな女の子のすることだと考え、あなた方と同じように厄介なことを一切免れるために、早く大人になりたいと考えるだけのことではないか。

  

実例を示さなければ、子どもに対しては絶対に何事も成功しない。

 

  

「人が見てくれなくても善いことをするように少女たちをしつけるがいい。これこそ本当の宗教だ。」

自分はいつも神に見守られていると感じるように、神を自分の行動、考え、徳性、楽しみの証人とするように、神は善いことを好まれるのだから、人が見てくれなくても善いことをするように、さらに、生涯のいかなる日においても、やがて神の前に現れるとき、かえりみて満足できるような者として生きるように、少女たちをしつけるがいい。

  

これこそ本当の宗教だ。

  

過ちにも、不敬虔(ふけいけん)にも、狂信にも陥ることのないただ一つの宗教だ。

  

もっと崇高な宗教を説きたい人は、いくらでも説くがいい。

 

私としては、このようなことの他に宗教を認めない。

  

  

まとめ

今回は子どもに何か必要なことを学ばせる際の考え方についての文ですね。

  

今回話では当時の義務教育レベルで学ばれていた宗教を前提に説明していますが、これは現代でも色んなテーマに当てはまると思います。

  

大人の勝手でやらせたいものがあったとしても、やれと言うのではなくやっている姿を見せる。

  

大人も学び実例を示すことで、悪い意味での「大人は良いなぁ。」を無くすことが、子どもの学び良いという考えはとても共感できます。

 

また3つ目にピックアップした文では、宗教が何のためにあるのかを考えさせられます。

  

神を信仰するためにこんなに頑張っている俺凄い!

  

……ではなく、誰も見ていないところで善い行いをする。

  

たとえ死ぬことになるとしても胸を張ってこの世を去れるように生きる。

  

日本にも「お天道様が見てる。」という言葉がありますね。

  

自分が感じる善い行いを誰も見ていないところで実践する。

  

それを美徳とするのはどの宗教にも共通する考え方ではないかと思います。

  

ルソーも一応は聖職者という立場ながら、型にとらわれずに宗教とは何なのかという本質部分を考えていたのでしょうね。

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