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この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つかもしれない言葉を抜粋して紹介していきます。
“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。
またそれらの言葉がこの本の要約にもなるので、よろしければ参考までにどうぞ!
「女は女として優れており、男と考えれば劣っている。」
両性にある共通の能力も、すべてがどちらにも同じ程度与えられているわけではない。
しかし、全体においてみれば、その差は相殺されている。
女は女として優れており、男と考えれば劣っている。
女の権利を利用していれば、いつも女は有利な立場にある。
男の権利を奪おうとすれば、必ず女は男よりも低いところにとどまる。
人は例外的なことでしかこの一般的な真理を反駁できない。
「自然は、考えること、判断すること、愛すること、知ること、顔と同じように精神を磨くこと、そういうことを女性に望んでいる。」
女性はどんなことについても無知であるべきだ、ただ家事のつとめだけをさせておくべきだ……、ということになるだろうか。
男性は自分の妻を女中にすることになるだろうか。
彼は妻のかたわらにあって人との交わりから生まれる一番大きな魅力を感じないことになるだろうか。
妻を全くの自動人形にすることになるだろうか。
もちろんそんなふうであってはならない。
あんなに快い、あんなに微妙な才気を女性に与えている自然は、そんなことを命じていない。
反対に、自然は、考えること、判断すること、愛すること、知ること、顔と同じように精神を磨くこと、そういうことを女性に望んでいる。
それらは女性に欠けている力の代わりになるように、そして私たち男性の力を導くように、自然が与えている武器なのだ。
女性は多くのことを学ばなければならない、しかし、女性にふさわしい知識だけを学ぶべきだ。
「女性の心遣いは人間の初期の教育を決定するものとなる。」
母親の健康な体質はまず子どもの優れた体質を決定するものとなる。
女性の心遣いは人間の初期の教育を決定するものとなる。
さらに、女性によって、男性の品行、情念、趣味、楽しみ、幸福そのものさえも左右される。
そこで女性の教育は全て男性に関連させて考えなければならない。
男性の気に入り、役に立ち、男性から愛され、尊敬され、男性が幼いときは育て、大きくなれば世話をやき、助言を与え、慰め、生活を快いものにしてやる、こういうことがあらゆる時代における女性の義務であり、女性に子どものときから教えなければならないことだ。
こういう原則に遡って考えない限り、人は目的から遠ざかることになり、女性に与える教訓は女性自身の幸福にも私たち男性の幸福にもいっさい役に立たないことになる。
まとめ
今回も前回に続き少し繊細な内容ですね。
貴族階級は別として、男性の多くは食料生産(農業)や戦争、紛争が生活に大きく関わる時代だった18世紀ヨーロッパ。
産業革命が起こる以前のこの頃、男性の労働力が国力に大きく影響した時代でもあります。
ルソーらの啓蒙思想家の影響もあり、後の1789年にフランス人権宣言が出され、市民の権利が明確に保障されるようになっていきます。
とは言ってもこれはまだ主に男性の権利。
革命期の最中、バスティーユ襲撃やヴェルサイユ行進などの民衆運動では女性も多く活躍したものの、女性は男性ほどの権利を得るには至りませんでした。
(後にコンドルセとオランプ・ドゥ・グージュの女権宣言等によって女性の権利の承認有り。)
そんな時代背景を考えると、今回のエミールの文章のように女性を女性として考える思想は新鮮であったと考えられます。
平等とはいかぬものの、男女の役割を公平にしようと考えていたルソーなりの思考を読み取ることができますね。
フェミニズムと言えばそれまでではありますが、当時よりは争いの少なくなった現代では権利のバランスを取るのもまた大変だということが今の自分には感じ取れます。
現代には現代の権利の主張……。
これもまた流れゆく時代の面白さですね!
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