原始社会が奴隷社会に…
奴隷社会が農奴社会に…
農奴社会が絶対王政に…
絶対王政が共和制に…
自分たちの生き方の矛盾に気づき、より高いステージへと登っていった人類。
ヘーゲルは“人間の歴史は正反合の繰り返しの結果である”と主張しました。
人間の精神も同様に、日々の営みを通じて“自他の認識の正反合”によって成長するとし、歴史は人間が自由な精神を獲得する壮大なストーリーなのだと考えました。
そんなヘーゲルの前向きな歴史観を真っ向から否定した哲学者がいました。
その人物の名はアルトゥール・ショーペンハウアー。
今回は、“人生は生へ欲求による苦痛が尽きない”という厭世(えんせい)主義の代表的存在ショーペンハウアーについてフォーカスしていきます。
ショーペンハウアーとヘーゲル
まずはショーペンハウアーとヘーゲルの関係からです。
ヘーゲルより18歳若いショーペンハウアー、彼はヘーゲルと同時代を生きた人物です。
ショーペンハウアーの裕福な家柄からゲッティンゲン大学の医学部に進みました。
そこで哲学者シェリングと出会い、イマヌエル・カントとプラトンの思想を学びなさいと助言を受け哲学の世界に入っていきます。
その後しばらくするとベルリン大学の哲学部に入学。
ベルリン大学ではヘーゲルの哲学観にも多大な影響を与えたフィヒテの哲学を学びます。
ヘーゲルの哲学観が世に広まっていくと、ショーペンハウアーも彼の哲学を理解するようになります。
同時にヘーゲルの楽観的とも考えられる歴史観に疑問を持つようにもなっていきました。
その後ショーペンハウアーは、ベルリン大学の哲学部の講師になります。
そしてそのときの哲学部の教授があのヘーゲルだったのです。
祖国愛もあり弁も立つヘーゲルは、教室が溢れるほど学生たちを熱狂させる超人気講師でした。
対してショーペンハウアーは、最初の講義には数える程度しか出席者がいないという状況だったと言います。
それでも人気取りなどはせず自分の哲学を披露。
ヘーゲルの哲学を堂々と批判していきました。
ショーペンハウアーによるヘーゲル哲学批判
自由な精神を得るための進化の過程が歴史だ。
歴史は人間が欲する生への意志だ。
ヘーゲルは、“自由な精神を獲得し、より高いステージに登ることが歴史”であると主張していました。
ショーペンハウアーこれに対して具体例を出して反論しました。
「ローマ帝国が五賢帝の時代、それは皇帝位を巡る争いもなく良い政治が続いた。」
「しかし時代が進むにつれて、良くなるかと思えば周辺部族の侵入によって危機的な状態に陥ったではないか。」
ヘーゲルの言うように、歴史は自由な精神に向かって進歩しているのではないと言ったのです。
そしてショーペンハウアーはこう言いました。
「歴史を動かしているのは人間が持つ盲目的な生への意志だ。」
人間も生き物である限り子孫を残すために生きてきた。
よって生存競争による争いの果てが歴史を動かしているのだ。
…と考えたのです。
続く…。
まずはショーペンハウアーがヘーゲルの考え方を真っ向から批判する姿勢であるところまでまとめさせてもらいました。
彼は歴史は生の意志が表れた結果に過ぎないと考え、独自の哲学を打ち立てていきます。
カントやプラトンに影響を受けたとされている彼の考え方はどのようなものだったのか…?
次回はショーペンハウアーの哲学についてさらに迫っていきます。
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