カントが考える善の実践~定言命法と仮言命法~

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実践理性批判

前回記事(純粋理性批判)にて、人は“感性で物や事象を捉え、悟性(理解力)で理解する”というというカントの考えを紹介しました。

 

認識の枠によって物事を認識するのは頭脳の役割となります。

 

では、“人の行動や行為”についてはどのような理性が働いているのでしょうか?

 

今回から2回に渡って、人の行動についてのカントの考え“実践理性批判”に触れていこうと思います。

 

イマヌエル・カント著「実践理性批判」

 

 

人間の法則

 

地球が太陽の周りを回るように、リンゴが木から落ちるように、自然界には自然の法則があります。

 

カントは人間にも同じような法則があるのではないかと考えました。

 

例えば、困っている人を助ける…、優しく接してくれた人には優しくし返す…といった行為などです。

 

これらの行為は人の行動(すなわち実践)に関することです。

 

カントはこれを実践理性と名付けました。

 

 

行動の格率=信念

イマヌエル・カント

人間の行動には格率がある。

カントは人の行動には独自の格率があると考えました。

 

例えば、「弱い者いじめは良くない」「上から目線のあいつが嫌いだ」「誰がなんと言おうとやり通す」などです。

 

格率は英語でmaxim。

 

ドイツ語でも同義であり、“行動原理、根本原理、信条”などの意味があります。

 

実践理性批判における格率は、心の信念と言ってもいいでしょう。

 

カントは、“格率は学習を重ねていくと、いずれ人の道徳法則と一致する”と主張しました。

 

 

道徳法則=無条件に行動する善

ではカントが考える道徳法則とは何なのでしょうか。

 

それは日々の意思決定の中で、善を実践しようとする心だと言いました。

 

ただし、善を実践するに当たっては“無条件に応じること”が道徳的だと主張しています。

 


【例①:損得で考えない】

 

例えば、道端で困っている老人がいます。

 

ある時には身なりの整った如何にもお金持ちそうな老人。

 

またある時には至って普通の老人です。

 

人によっては見返りを求めて金持ちそうな老人しか助けないということもあり得ます。

 

そのような考えからくる善は、カントにとっては同じ“助ける”だとしても道徳的ではないといいます。

 

 

【例②:善き想いの上で実践する】

 

あなたは貧困にあえぐ国の子どもに対して寄付をしようとします。

 

ある時あなたはお金に余裕がありませんが、その子どもたちを想って100円を寄付しました。

 

ある時あなたはお金もちになり、世間の目や自分の名誉のために100万円を寄付しました。

 

この場合カントは想いのこもった寄付こそ道徳的であると考えました。

 

 

定言命法と仮言命法

上の例を参考に話をまとめると…。

 

無条件に善を実践しようとする状態は実践理性が働いている状態と言えます。

 

これを“定言命法”と言い、もっと簡単に言うと「~すべきだ。」と考えることです。

 

対して、欲望が働き条件付きで行動しようとする状態は実践理性が働いている状態とは言えません

 

これを“仮言命法”と言い、簡単に言うと「もし~ならやる。」と考えることです。

 

カントはこのように動機の大切さを訴え、道徳的に行動しようとすることこそが実践理性だと主張しました。

 

そして、これらの道徳法則に従おうとする意志善意志と呼んだのです。

 


ここまでがカントが考えた実践理性と善意志の話になります。

 

無条件に善を成すことを美徳と捉えたのですね。

 

また、本能で生きる動物にはできない人間らしい行動であるとも言えます。

 

次回はこれらの考えの続きをまとめ、カントの有名なセリフ、

 

「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるよう行為せよ。」

 

に迫っていきます。

 

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