認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う~純粋理性批判~

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純粋な理性とは何か…?

 

これをカントは“認識する能力”であると言いました。

 

今回はそんな認識能力や理性に関する考え方を、純粋理性批判の一部を使って触れていきます。

 

イマヌエル・カント著 純粋理性批判 1781年

 

 

純粋理性批判

端的に言うと、人間の認識能力・理性には何ができるのかについての話です。

 

「人間が見ているものや事象は真の姿ではない。あくまで人間の認識を通して見えているだけで、真の姿を見ることはできない。」

 

前回の記事にて紹介したように、カントは人間の認識が全てではないと考え、哲学界に一石を投じました。

 

では、“人間の認識能力では一体何ができるのか”という問いを純粋理性批判を通して主張しています。

 

純粋理性批判はドイツ語でKritik der reinen Vernunftと書かれています。

 

Kritik(批判)という言葉から純粋理性という考え方を批判する著書であると勘違いされがちですが、Kritikという言葉には“区別する、認識する”という意味も含まれています。

 

カント本来の意図は、純粋理性(認識する能力)に対して議論を深め、皆で考えようということであり、決して純粋理性を批判するものではありません。

 

 

悟性と感性

ここで使われるのが感性と悟性です。

 

【感性】

感性とは、外の刺激に反応して印象を感じる認識方法

 

【悟性】

悟性とは、知性の同義語であり経験から物事を認識する方法

 

例えばバナナを目にするとき、感性のみでバナナを見ると、バナナと言う物体をぼんやりと認識している状態になります。(このときはまだバナナとは理解していません。)

 

その後、悟性によって甘い・黄色い・剥ける、時間が立つと腐る…など、状況や経験から概念を当てはめることでバナナと認識できるようになります。

 

簡単に言うと、感性は直感で感じること悟性は感じたことを整理することだと思ってくれれば問題ないです。

 

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直感と悟性の関係

そもそも直感と悟性が当てはめていく概念は別物なのになぜ関係し合うのか…?

 

直感と悟性には媒介となるものが存在するとカントは言います。

 

それが“超越論的時間規定”です。

 

簡単に言うと、現象が現れ始めたら以下の“悟性が持つ12のカテゴリー”を当てはめようとするルールのことです。

 

悟性が持つ12のカテゴリー

【量のカテゴリー】

・単一性

・数多性

・総対性

【質のカテゴリー】

・実在性

・否定性

・制限性

【様相のカテゴリー】

・可能性

・存在性

・必然性

【関係のカテゴリー】 

・実体性

・原因性

・相互性

カントはこの悟性には12のカテゴリーが存在し、元々私達の認識能力としてインプットされていると主張しました。

これら12のカテゴリーは経験よりも先立って、私達に備わっているということから“純粋悟性概念”と言われています。

 

“超越論的時間規定”にバナナを当てはめてみます。

 

時間と空間の中で我々は生き、認識をしています。

 

バナナは常に目の前に存在するのではなく、時間と空間の中で過ごす内に(生活の中で)出会い、食べ、捨てたりします。

 

バナナが現れたとき、バナナというものがあることは実在性のカテゴリーを1個であれば単一性のカテゴリーをバナナが熟れる腐るなどの未来が考えられるなら可能のカテゴリーを…。

 

このように、12カテゴリーを当てはめて認識し、その認識には時間が深く関わっていることから、超越論的時間規定と訳されています。

 

モノをたや現象をそのまま捉えるのではなく、認識することによってその存在がはっきりしていくのです。

 

このことからカントは…

「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」

という結論を導いたのです。

 

 

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