ホイッスラー
ホイッスラーはアメリカマサチューセッツ州のローウェルに生まれた画家です。
幼い頃は外国暮らしが多く、ロシア、イギリスを9年ほど転々とした後、故郷であるアメリカに戻ってきます。
帰国したホイッスラーは、ウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学するも、三年目になると科学の試験をパスできずに退学となります。
1854年には首都ワシントンへ、1855年にはヨーロッパに渡り、最終的にロンドンで生活を始ます。
1863年になると彼の母アンナ・マチルダ・マクニール・ホイッスラーがやってきて同居を始めます。
あるときホイッスラーの絵画のモデルが病気にかかり、母が代役を務めることになります。
これによって描かれた作品が“ホイッスラーの母”です。
ホイッスラーの母
この作品は当初、『灰色と黒のアレンジメント第一番:画家の母の肖像』と題され、ロンドンのロイヤル・アカデミーに展示されました。
ホイッスラーは母の個性よりも、色彩や構図を重視していました。
彼曰く、
「母の肖像画は私にとってか興味深い作品だが、一般の鑑賞者は気にも留めない。」
「音楽が音の詩であるように、絵画は色や形の詩であり、主題は色彩のハーモニーとは関係がない。」
と語っています。
自身が描いた絵にシンフォニーやノクターンなど音楽用語を使うことが多いのも、この芸術的な感性が一貫されている証拠だと思います。
この絵が発表された当初はあまり注目されませんでしたが、1883年(絵の発表の約10年後)のパリのサロンに出展された時には、反響を呼び高い評価を受けたと言われています。
彼のスタイルであるモノトーン調の色彩を使って黒いドレス(喪に服していることを表す)や透き通ったキャップを表現しています。
この絵は後に、典型的な母親像として見られるようにもなり、切手の図柄に採用されたり、ミスタービーンの映画の題材としても使用されたり、パロディとして絵のポーズを真似したりと広く愛されています。
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