の続き…。
前回のまとめ
・言葉(言語)は世界を写し取る写真である
・言葉が無ければ世界を認識することはできない
・言語には日常言語と科学的言語がある
前編ではウィトゲンシュタインが考える言語について書きました。
彼は、客観的事実を切り取ることができる科学的言語の方がより重要であると考えていました。
今回は科学的言語と対をなす日常言語について、彼の考えをまとめていきます。
科学的言語から日常言語へ
(もしや日常言語の方が重要…?)
科学的言語を重要視していたウィトゲンシュタイン。
しかし実際の生活の中では、日常言語が使われることの方が圧倒的に多いことを実感し、改めてこれについて考えることにしました。
人間は“世界とは何か”について考えるよりも、「おはよう!元気?」「今日はいい天気ですね」など日常的に交わされる言葉の方を考えることの方が圧倒的に多いです。
彼は次第に、「科学的言語を追求しても世界のことは分からないのではないか?」と考えるようになります。
言語ゲーム
誰かが「今日は晴れているね」と言ったとき、その言葉は全てを表しません。
「今日は晴れているね」の後には
→「だから外に遊びに行こう」
→「明日も晴れだといいね」
→「そんなことより早く支度しなきゃ」
など文脈によって言葉の意味や感情が変わっていくのです。
ウィトゲンシュタインはこのような事実から“言語ゲーム”という概念を考えます。
なぜゲームと名付けたのか。
それは全てのゲームにはルールがあり、ゲームに強くなろうと思ったらルールや用語に熟達し、何度もゲームにチャレンジしていく必要があります。
生活、職業、遊び、人間関係…。
人間は人生で起こりうる多くのイベントの中で、沢山のルールを理解しそれを表現する言語を使います。
彼はこのような言語が持っている具体的で多様な姿から“言語ゲーム”という概念を考えたのです。
言語ゲームで言葉の背景を知る
この言語ゲームをもってすると、一つの文節や単語の持っている意味は背景によって変わっていきます。
世界、神、正義などについて考えるとき、どんな文化のどんな世界について書かれたどんな文脈で語られているかによって意味合いが変わるのです。
だから、それぞれの民族や文化で語られた言葉を数多く学んでいくことで、初めて神とは何なのか、正義とは何なのかが分かってくると言います。
そのためには、さまざまな言語ゲームを繰り返しながら、それらの背景を知ることが大切なのであるとウィトゲンシュタインは結論付けています。
哲学に与えられている課題は何か?
「哲学とは言葉を分析することである。」
長年の考察の末、彼はこう断言しています。
「哲学に与えられている課題は、神とは何か、歴史とは何かを抽象的に考えることではない。」
「それぞれの民族や文化の中で生きてきた人間が、言葉をどのような意味で使っていたのかを知り分析することである。」
言語を分析することこそが哲学の本質であるという主張は、世界の哲学界に多大な影響を与えました。
トマス・アクィナスに代表されるそれまでの哲学界の主題は、“神とは、世界とは、善とは”などの認識論が中心でした。
そんな中ウィトゲンシュタインは、人間の意識の中身など探りようがないと考え、哲学の主題を言語の分析に変えたのです。
このことは、ニコラウス・コペルニクスが地動説を唱え学会のテーマを180度変えてしまった考え(コペルニクス的転回)にちなんで、“言語論的転回”と呼ばれています。
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